2014年02月21日

ニュースは外部からやって来る

山場をひととおり終えると、
弛緩という退屈がやって来る。
一通り、関わる人たちを描ききれば描ききるほど、
作者も何を書いていいかわからなくなる。

そんなときは、「外部」を使うとよい。

内輪で煮詰まったら、新しい血を入れるのはセオリーだ。
いきなり新人を登場させるのに無理があるなら、
外部からのニュースがやりやすい。

これまで関係していない、外部からの新しい情報がもたらされることが、
次への展開をうながすのだ。
(展開とは新しい事実のこと、という予想はすでに書いた)

全くの外部でもよく、
(アメリカ情報、転校生、マスコミのニュース、隣町、大阪では、など)
内輪だが外部、でもよい。
(今までクラスで目立たなかった奴が実は、隣のクラスでは、
よく知っていたはずの身内に新たな秘密が、友達の親戚、など)

これによって、「世界が広がる」という展開になる。
今まで内輪だけで進んできた物語が、
更に多くの人に共有される問題となってゆく。

スピルバーグは、ストーリーテリングのコツとして、
マスコミを出さない、というルールを自分に課しているという。
登場人物と観客の親密な関係に、無粋なマスコミを介入させたくないのだそうだ。
E.T.などを見ればその主張はよくわかる。
あれが報道されてしまったら、エリオットとE.T.の友情が秘密のものでなくなる。
そのかわり、彼らの関係は、母親、いじめっこたち、軍に知られるように話が拡大してゆく。

話の「外部」をどこに設定するかが、
ストーリーテラーの腕のみせどころだ。
スピルバーグは、マスコミをぎりぎり境界線にして、
その中の世界を語る人、というタイプのストーリーテラーだ。

マスコミを巻き込んでの大騒動は、
映画の規模としては、なかなか大きなものになる。
その規模で世界を描いてもよいし、
人知れずある冒険を描いてもよい。


外部からのニュースを扱う場合、
その「外」とはどこかを、いつも意識しておこう。
自分の書いている物語は、どの規模なのかを、意識しよう。

シャマランの「ヴィレッジ」は、村の世界をマスコミにばらさないようにする物語だった。
(つまり村の外が、外)
「E.T.」は町と軍の秘密の話だ。
(それ以外の一般の人々が外で、宇宙人は知らされない)
「風魔の小次郎」は、ふたつの学校とふたつの忍の一族の話に、
聖剣が二振り関わってくる話だ。
(限定空間ものに、遥かに時間スケールの違うものが投入される)
「ロッキー」はフィラデルフィアという小さな町と、ボクシングヘビー級界の話だ。
(どんなにアメリカンドリームだとしても、実はボクシング界以外は世界の外)

世界を俯瞰しながら、主人公という点と線を書いていこう。
posted by おおおかとしひこ at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック