2014年02月21日

山場論、つづき

前々回、山場を書き手側から定義してみたが、
もっと簡単に、観客側から定義してみよう。

それは、「あああああどうなっちゃうのおおおお」
とテンションが高くなるさまである、という定義だ。


ドキドキやハラハラやテンションとは、
前々回でも書いた通り、要するにリスクを伴う決定のことである。

30分ドラマを例にとれば、
Aパートの終わり、Bパートの終わりに、
このような「あああああどうなっちゃうのおおおお」という場面があるのが普通だ。

前者はCM明けへのヒキ、後者は次回へのヒキである。


つまり、「あああああどうなっちゃうのおおおお」とは、
次回へのヒキに他ならない。
ヒキだけだと、決定まで至らない場合もある。
(さてどうなるのか?つづく、というパターンだ)
これが決定まで至るのが、前々回での山場の定義だ。


「風魔の小次郎」では、(僕担当の回は少なくとも)このヒキをきちんと毎回盛り込んだ。
当たり前と言えば当たり前なのだが、
最近のドラマは、これがきちんと守られていない気がする。
だから、だらだらしている印象がある。
とくにここでCMに行かなくてもいいのにCMが挟まると、
見てても盛り上がらないのだ。
理想のCMの入り方は、
「あああああどうなっちゃうのおおおお」→CM→今のうちにトイレ行かなくちゃ!
であることは論をまたない。
(更にCM業界から一言言わせてもらうと、その尿意を止めるほど面白いものがいいCMだ。
尿意が勝るCMなんて通り過ぎるだけの無価値CMである)

理想の次回への「つづく」は、
「あああああどうなっちゃうのおおおお」→次回へつづく→もう、いいとこでつづくなんて!
か、
「あああああどうなっちゃうのおおおお」→決着!→ああ面白かった、来週も見よう
である。

風魔では、忠実にこれを守ったうえでこれを脚本状態から計算している。
ぼくは、「CMの入れどころまで指定する脚本は珍しい」と言われたことが、
ずっと引っかかっていた。
他ではどうするのかと聞いたら、編集時に決めるというのだ。
それはおかしい。
「あああああどうなっちゃうのおおおお」とは、脚本に書いてあることだからだ。
逆に言えば、一般には、そこまで計算されて脚本は書かれていない、ヌルイやり方だということだ。


15分おきにヤマをつくれ、という僕の持論は、
要するに「つづく」的なヒキをうまくつくれ、という事に他ならない。
退屈の反対は緊張や集中だ。
それは、「あああああどうなっちゃうのおおおお」という、
我々が一番物語を楽しんでいるテンションのことだ。


風魔でいえば、
#13のAパートの終わり、絵里奈の登場が好例だろう。
#9のBパートの終わり、陽炎復活もたまらん。
#5のBパートの終わり、「本当に、人が死んでゆくんだ」もお気に入りだ。
#6のBパートの終わり、「風林火山、柳生屋敷にあり」も典型的である。
このようなことを列挙するだけで、物語のうねりを感じることが出来る。

物語のうねり、展開とは、
15分おきの山場=なんらかの決定によって、
物語のこれまでの図式(動き論参照)が大きく更新することだと言える。
決定が大きく響けば響くほど、これからの展開が予断を許さなくなる。
新しい局面に物語が入る、という「展開」は、ここから導き出されるのである。
posted by おおおかとしひこ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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