初心者にありがちなミスを防ぐには、
こういう作り方がよいのではないか、という話。
初心者は、絵を描きたがる。
映画がビジュアルコミュニケーションである以上、
その心意気自体は間違っていない。
だが問題は、絵に頼りすぎることだ。
ありがちな駄目な話は、
絵はいいかも知れないけど、話が面白くない、
というパターンだ。
これを修正して、絵にふさわしい話を詰めていく、
というリファインは、大抵成功しない。
なぜか。
絵に話が含まれていないからだ。
理想的な映画のいい絵とは、
文脈や意味と不可分である。
絵は物語の意味を示す。(これはイコンの所でも話した)
絵だけいい、という場面は、映画にはあってはならない。
(例えば、「バタアシ金魚」という佳作があるが、
あれもラストカットの高岡早紀が物凄くよく撮れているだけだ。
あのカットは、物語と関係のない、若い女の良さでしかない)
絵がイコンになるときにはじめて映画では「いい絵」と呼ばれる。
一方、初心者のダメな物語の場合、
絵が良さそう、という「予感」が絵のよさであることが殆どで、
この絵が名場面のあの意味を象徴してるからこそ、
いい絵である、というパターンではない。
しょせん、写真的、絵画的な絵のよさ
(構図、モチーフ、インパクト、素材の面白さ、
組み合わせや配色の妙、なんだか物語を孕んでそうな雰囲気)であり、
映画的な絵のよさではないのだ。
写真的、絵画的ないい絵と、映画的ないい絵は違う。
それを混同するのが初心者だ。
一番撮りたい絵はどれか、聞いてみるとよい。
それが何故いいか、説明させてみるとよい。
その絵が、物語のある意味の象徴になっていて、
この絵を見れば、説明がなくとも物語の内容が伝わる、
(あるいは、物語のこのような主題の象徴である)
となっていない限り、
それはいい映画的な絵ではなく、
写真的、絵画的にいい絵であるに過ぎない。
これを成立させるようにお話を組み直すのは、
かなりの実力が必要で、その力は初心者にはない。
なので、僕は、
「目をつぶって書け」という方法論をすすめる。
めくらが話を聞いても面白い話をまずつくれ、と。
それが出来てから、めくらではない人が見る映画として、
大事な場面のイコンになるように、
絵を描いてみよ、と。
話を第一義的、絵を第二、とわけるやり方だ。
何も難しいことではない。
子供の頃、母親に今日あったことを話すこと、
友達に最近あったことを話すこと、
誰と誰が付き合っているなどの噂話、
昔あったことを誰かに話す、
などと同じことだ。
ストーリーテリングとは、このようなことだ。
全ては、ビジュアルがなくとも伝わる、おはなしである。
脚本とは、そのようなお話を、書いてあるものである。
絵など描いている場合ではない。
目をつぶって、話をつくってみよ。
(文中、言葉のテンポのために、差別用語をあえて入れています。
視覚にハンデのある人は、そもそも映画の二番目に大事なところが、
享受できないのが残念です)
2014年02月26日
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