このさい、説明文は(映像には)必要ない、と結論付けてしまおう。
通販番組などでの、「おおー」という驚きは、
なぜわざとらしいのか。
それは、感情がこもっていないからだ。
正確にいうと、驚くほどでもない情報なのに、
無理やり驚いて見せるからだ。
それは、驚く演技の良し悪しとは関係がない。
「驚くほどでもないのに、驚いている」ことがおかしいのだ。
逆に、洗脳するときは、驚くことを周囲で連発し、
「驚かない私の方がおかしいのではないか」と疑念をいだかせるのが常套である。
仮に驚いて見せる芝居をさせて形をつくり、
いつのまにか驚いている感情を芽生えさせてゆくのが常套である。
だからたぶん洗脳で一番使われることばは、「おかしくないですよ、大丈夫」だ。
しかし、洗脳は閉鎖空間でしか通用しない。
洗脳は、いつか世間の常識にさらされ、解ける運命にある。
不自然な感情を、理屈にのせるからこういうことになる。
ほんとうに驚くべき情報なら、
「おおー」という演技をしなくても、みんな驚く。
つまり、「おおー」と驚いているということは、
その情報は驚くべきものではない。
つまり、すべてがうそっぱちだ。
人は、嘘だと分る情報には乗って来ない。
ほんとうに感情が動かされない限り、乗って来ない。
逆に、感情が動けば理屈がひっこむ恐ろしい生き物でもある。
それを利用したのがジャニーズ商法だ。
江戸時代に伝わる話で、巡回して来た歌舞伎を見に行った地方の奥方が、
とある俳優に夢中になり、金色の着物の裾の隙間から、
ちらりとイチモツをサービスで見せてくれた男をおっかけ、
巡回についていって村に帰って来なかったという。
すべてのアイドル商法は、恋心という感情という、同じ原理を使っている。
通販番組や、ベタナレは、感情のない文章だ。
理屈はあっていても、ちっとも心に響かない。
響かないどころか、わざとらしさすら感じる。
そのようなものは、我々が「夢中になる」映画物語とは、対極の存在だ。
あなたの書くことばが、仮に理屈は合っていたとしても、
なんら評価に値しない。
評価に値するのは、ほんとうに感情が動くことばのときだ。
2014年02月28日
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