2014年02月28日

バックステージの功罪

ぼくはバックステージの暴露(メイキングとか、制作の裏側をうつすもの)が
嫌いだ。
化粧をする女がすっぴんを見せたら、化粧した顔に価値がないではないか。

スタッフなど、制作者を目指す人へ、
このような仕事があるのだ、と紹介する意図では、
メイキングはとてもよいと思う。

この仕事は常に一点ものであり、
それがどのようにつくられたかを知ったり、
どういう失敗や成功があったのかリアルに知ることは、
この世界へ入る興味にもなってくれるからだ。
ものづくりそのものの面白さも、垣間見ることが出来る。
僕だってそのようなものを見て、
漫画家や監督にあこがれたのである。

しかし、最近の「メイキング」といえば、
とかく人気芸能人のオフショット集でしかない。
キャストはヨーイスタートからカットまでが仕事であり、
それ以外の顔は見せたいくない筈だ。

が、隠せば見たくなるのが人間の性だ。
カメラではこのように撮られていたが、
ほんとうのところはどういう感じなのだろう、と見たい欲求が、
昨今のオフショット集メイキングの需要である。

これは、実際にはキャストに負担をかける。

カメラがふたつ回っているから、オンオフがうまくいかない。
カメラにうつる集中をつくるために、
考えたりする時間が、メイキングのカメラが回ることで妨げられる。
メイキングのカメラに、サービスしない芸能人はいないからだ。

カメラが回っていないときに、カメラに見せない顔で、
考えるものである。
それはつくられたイメージとはまた別の人間的瞬間だ。
議論もするし、怒るし、ダメな所もあるし、だらしない普通の人間だ。
その瞬間が、カメラが回っている本番の瞬間に生きるのだ。

それを、メイキングのカメラが回ることで、
その顔を出来なくなる。
本番のカメラ同様の対応をしなければいけなくなる。
テレビタレントなら、それが自然に出来るかも知れない。
その価値を内面化して、自分がタレントなのか人間なのか分らなくなっているからだ。
(だから、精神が病む)
風俗嬢と同じだ。風俗嬢は、裏では煙草を吸ったりするものだ。
しかし客の前では清楚な女の子を演じるのである。

裏はあるものとして、表だけとつきあう、
というのが、本来の大人の対応である。


そのへんがよく分らない人だけが、
オフショット集のメイキングを喜ぶ。

役者は、休まる暇がない。それは、本編にも影響する。


風魔のメイキングは、僕は実の所好きではない。
理由はいまのべたとおりだ。
だが、喜ぶ人がいるから、このようなものは次々につくられることになる。
風魔は本編がちゃんと出来ているからそれでもよい。
メイキングはサービスとして完璧だ。
(実際、若手たちばかりで、オンとかオフとか、良く分からないまま、
フルテンションで突っ走ったような現場だったから、その雰囲気は面白かった。
実際仲の良いアットホームな現場で、その記録としては、今見るのは感慨深い。
だが、本当にリアルな役者たちの顔は、
彼らはメイキングのカメラの前では見せていない。
「今メイキング回ってますから」と役者に何度止められたことか)
問題は、メイキングだけ受けて、本編の出来が微妙な場合だ。
風魔でいえば、舞台版がそれに相当する。


世の中、映像作品に派生したメイキング的なものは沢山ある。
メイキングムービー、オフショット集、公式HP、グッズなど、
ガワにはりついたものだ。
これらの商売は、むしろ、これらの業界をまわすために存在していて、
本来の、本編が面白いからこそのサービス、としてもはや機能していない。


逆に、ハリウッド映画での、
「ビハインド・ザ・シーン」の考え方は好きだ。
役者が、監督が、関係者たちが、何をどう考えてこれをつくったか、
という誇りに満ちているからだ。
それは、すっぴんと化粧の間のマジックを解説することであり、
そのマジックに興味がある人に向けたものだからだ。

一方、日本のスタンダードなオフショット集は、
すっぴんを見てみたい、すっぴんを見て、化粧しなくてもきれいだわ、
という確認や、すっぴんも化粧もいいわあ、という
「好きな人と一緒にいる時間」の拡大のために見るためのものだ。

要するに、日本の客は幼いのだ。
大人が別の顔をして現実とは別のものをつくっている、
というとらえ方ではなく、
子供がわいわいその通りにつくっている、
というとらえ方なのだ。
嘘を認めない、正直者といえば聞こえはいいが、
嘘もありきでそれを楽しむ、大人の娯楽を享受する資格がないのである。
(その虚実で、映像業界が儲けているという現実もある)


とくに、CMをやっていると、メイキング班が必ずつく。
あれはやめたほうがいいと思う。
タレントのファン向けであり、タレントのファンしか見ない。
(ちなみに、メイキングも事務所チェックがある。
メイキングとはいえ、皺消しやニキビ消しの作業をする。あたりまえだ)
タレントはCMに出演することで好感度があがるメリットがある。
しかし、役者やスタッフにとっては、現場でのオフがなくなる。
商品が売れるわけでもない。
CM世界(化粧後)をせっかくつくっても、裏側を見せられては、
つくった甲斐がない。
タレントには感情移入しても、商品やそれをつくったスタッフに、
決して感情移入することはない。
百害あって一利なしの産物だ。


化粧のマジックに興味があるからこそ、
僕は脚本論を書いている。
同じ道を目指す誰かの役に立てばいいと思っているからだ。
僕自身もそのようなもので育ったからだ。
僕のすっぴんに興味をもらっても困るだけだ。
僕はマジシャンであり、技術者だ。
posted by おおおかとしひこ at 16:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 私はメイキングが好きです。風魔のメイキングはたしかに楽しいものがほとんどでしたが、あれはあれでさらにキャストと作品に更なる愛着を沸かせたのは間違いありません。作品は消費者の手に渡ったら、消費者のものです。
悪く言われてもこまります。

 それに、ファンのための特典映像も、芸術作品とはよべないし、邪道に感じるかもしれませんが、役者は固定ファンが増えなければその生命線が断たれます。特に大きくない事務所の俳優は直結です。メイキングも生き残るための仕事だと腹くくってるんじゃないでしょうか?
  
 昨今の舞台のメイキングで、本番中の舞台袖を映すものがありました。非常に体力と緊張感と細かい段取りを必要とする舞台のため、舞台袖の役者は負傷兵でスタッフは救護班のような戦場さながらの様子でした。もちろんカメラサービスする余裕などなく、緊迫感がそのまま映し出されています。
 確かに、こんなに緊迫したシーンにカメラがいたら、「邪魔なんじゃ?」という心配もあるので、次回公演でそのメイキングがなくなっても文句は言いませんが、
どんなにふざけたシーンでも、この舞台に関わってる人達は皆、真剣に「仕事」をしているんだ・・という事がよく伝わって、ますますその作品が好きになりました。
 一概に嫌いと言わずに、現場の邪魔にならず真実を伝える良質なメイキングを作るノウハウを確立してほしいです。消費者的には。

Posted by 幼くとも客 at 2014年03月01日 00:50
 風魔の本編と、舞台版のDVDをもっております。
 監督の言われるとおり、舞台版は本編ほどは見返しません。あまり好きじゃないです。
 自分の印象としては、原作のダイジェスト感が強く、それなら原作読むよ(笑)という感じです。舞台ならではのオリジナリティがあんまり感じられません。
 上演時間がドラマに比べてはともかく、普通の舞台より圧倒的に短いという制限もあるのでしょうが…
 具体的に舞台のどの点が出来が悪いのか。
 素人の自分では、うーん、2回目は見ないなあくらいの感覚しかないので。差支えがなければ、考えをお聞かせいただければと思います。
 
Posted by あたた at 2014年03月05日 13:26
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