名場面は、どうやって出来るのだろう。
それは、複雑なものを一発で決めたときだと思う。
しかも、一言の決め台詞で。
つくるには、仕込みがいる。
複雑な状況を仕込むことだ。
言葉や説明やプロットを尽くして、
入り組んだ状況をつくっておく。
あとはこのドミノを一気に倒す。
ぷよぷよの連鎖のように、一気にいく。
その快感の中、
たった一言でけりをつける。
その決まった感が、余韻をつくる。
その一言は、それだけで成立しているものではない。
その一言のために、背後に膨大な仕込みが必要だ。
その一言が、これまでの伏線や複雑な事情を、
一発で解消するから気持ちがいいのだ。
決めて欲しいときに、
ぐだぐだご託を並べるのはだめだ。
一発で、決めるのがよい。
古今東西、名台詞や決め台詞が尊ばれるのは、
このような構造を持っていると思う。
時代劇の口上(桃太郎侍の数え歌みたいなやつとか)なども、
定番だからこそ待ってましたの声がかかる。
みんな覚えているからこそ、一緒になって口上に聞き惚れる。
そしてそれは、たいてい名調子の名文だ。
自分の例を出せば、風魔10話の小次郎の一言、
「(いいところの10個目は)強い善人だ、ってこと」
の一発の銃弾のために、
その話全部を使って伏線を張っている。
もっと言えば、1話からの伏線だ。
「いけちゃんとぼく」では「あいしてる」の一言に全てを集約させている。
見たことのない人には、なんてことのない言葉に見えるかも知れないが、
見た人にはそれまでの全ての場面が走馬灯のように甦る。
名台詞とはそのようなものだ。
奇しくも愛の告白が並んだのは、
ことばが決め手になるからかも知れない。
これが名台詞でなく、行動で名場面をつくる手もある。
にしても、一発気のきいた台詞を言えば、
名場面になる。
一言の台詞は、記憶に残りやすい。
長い台詞は覚えにくい。それだけだ。
行動や絵は他人と共有しづらいが、
一言の台詞は、これ、と言うことができる。
だから、一言の台詞は、(記憶に残る)名場面につきものなのだ。
せっかく映画の脚本を書くのだ。
名台詞のひとつやふたつ書かなくてどうする。
名台詞を狙って書くのは難しい。
一言いうだけでプロポーズを決められる人は滅多にいない。
一言を考えるから駄目なのだ。
その一言は、全体の「つくり」からはじまっている。
2014年02月28日
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