とよく言う。
それは、終わりがあるから人はなにか特別なことが出来る、
ということだ。(999のテーマでもあった)
それは物語でも同じだ。
目的を達成したら終わり(センタークエスチョン)だと
思っているから、我慢もきくし、賭けにも冒険にでも出られる。
終わらせる為にクライマックスに行く、のは常套句である。
今、一話完結型ドラマのシリーズ構成を考えている。
出来るだけ続けたいのだが、
一端仮の最終回を考えてみることにした。
一話完結型のドラマの場合、
「終わらない日常」のループこそがドラマの原動力だ。
ドラマ内世界が飽きない限り、
その世界を見るためにそのドラマを見る。
設定変更の展開はしない。
日常から出発し、何かが起きて、解決したら日常に戻ってくる。
映画では、それが大きな冒険であり、
それが自分を永遠に変えるほどの冒険なのだが、
一話完結ドラマの場合、変えてしまってはだめで、
元の楽しい日常に戻ってくることが前提だ。
ドラえもんやサザエさんを例に出せばわかる。
登場人物は、永遠の日常のループにいる。
(それを皮肉ったメタ作品は数限りなくあるだろう。
特に名作は「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」だ。
僕はこれをリアルタイムで中二で見てしまった。
映画的完結のための結論が、日常ループものである原作の結論を
先に出してしまい、高橋留美子を激怒させた、という話は最近知った)
このループそのものが楽しい、
というのは我々の日常でもある。
我々は突然大きな変化はしないし、
突然アイデンティティーに関わるような冒険には出ない。
出ないからこそ、恋愛や結婚や就職や受験や引越しなどの、
大きな変化は、日常ドラマの題材になる。
ドラマは、商売上、
無限に続けられるスタイルが望ましい。
シーズン2、3、と続けられる世界を構築出来るものが。
今でこそ1クールドラマが主流だが、
かつては2や4クールが普通だった。
一年それに付き合うことを考えると、つくり手としては相当大変で、
そこまでの体力は今テレビにはないのかも知れないが。
一話完結ドラマの売りは、世界のループである。
図式の変更のような大展開は、映画にはいいが、
ドラマには不向きだ。
とはいえ、物語とは、終わりがあるからはじまるのだ。
今構想中のものも、何話でも続けられるフォーマットで、
出来れば2クール以上やりたい企画なのだが、
(構想だけならもっとつくれる)
仮に、最終回をつくってみた。
そうすることで、主人公のセンタークエスチョンや、
物語全体の背骨をどう通すか、という全体像が見えてきた。
一話完結型だから、全体の通しというよりは、
頭と尻のブックエンドをどうつくるか、
という考え方のほうが近いかも知れない。
終わらない仕事はない。
それは、物語はいつか終わるということだ。
日常は終わり、次の日常に動くということだ。
その変化がテーマの暗示なのだ。
終わりを決めることは、テーマを決めることだ。
それは、一話完結型のドラマでも同じだと思う。
毎回毎回あるテーマとは別に、
大きなテーマを具体化しておくことは、
書き手にとって大変有意義である。
今回は、ベタだけど、やはり主人公の成長、というのが出てきた。
成長とは変化のこと。ループから抜け出すこと。
それは、日常の終わりを告げること。
その楔を先に打っておいて、
中盤である日常のループを出来るだけ沢山書きたいものだ。
(ドラえもんで言えば、「さようならドラえもん」の回が、
実質の最終回だ。色々調べていたら、ブラックジャックにも、
仮の最終回があることを知った。プロになって意識して読んでないので、
これは読まねば)
2014年03月01日
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