映画と違い、ドラマは長丁場だ。
しかし、三幕構成という点では同じである。
ACT 1でセンタークエスチョンを設定し、
ACT 3でクライマックスを描く。
たいてい1話から数話がACT 1というセットアップ、
最終回が前後編でACT 3というクライマックス、などのパターンが多い。
それ以外の殆どがACT 2であると言える。
映画脚本では、ACT 2をうまく書くことが非常に難しい。
今の所、自分の中で納得のいくことを、
これまで書いてきた。
ドラマのACT 2を考えることで、ACT 2について議論しよう。
ACT 2の前半戦は、お楽しみポイントである、
とブレイク・シュナイダーは言う。
この意味をおしすすめてみたい。
ドラマとは、
大体こんな感じのもの、というイメージ像がある。
◯と△がコンビで事件を解決する、とか、
◯と△と□と×が共同生活をして色々なことが起こる、とか、
◯と△が□を求めて旅をし、行く先々で何かが起こる、とか、
◯と△が□を目指していたのだが、そこに過去を含んだ大変な事件が起きる、
などなどだ。
ポスターになったり、オープニングでそれを示したり、
予告や宣伝で使われるものだ。
その詳しいものが人物相関図などで表されたりする。
これがACT 2を示している、と考えるとよい。
つまり、ACT 1はこれに至るまでを書くとよい。
(他によくあるパターンは、冒頭にACT 2の一部を示して第一印象をつくり、
時間が戻ってそれまでの経緯を描くパターンだ)
いずれにせよ、これはこのようなドラマ、というイメージ像が、
毎話に付与されるイメージとなる。
そのイメージを見たくて、人はドラマを見る。
ドラマが好きな人は、前情報でこの人物相関図を頭に叩き込んでいたりする。
映画におけるACT 2も、このようなものだと思うとよい。
ドラマのイメージ像のような、
「これはこのような話です」というイメージを見るためのものが、
ACT 2なのである。
そこにはメインコンフリクトもあるだろう。
しかしそれは前面には出てこない。
その本格的解決は物語の後半戦であり、
まずはサブプロットを御披露目する必要がある。
ドラマでいうところの、人物相関図のようなものだ。
このドラマに関わる人たちが出てきて、
それぞれの事情を持ちながら、主人公に関わったり、
味方になったり、対立したりして、
ドラマに加わるのだ。そこで人々の深い話をするのだ。
そのサブ人物が、後半戦で何かをすることが、
主人公のメインコンフリクトの解決に効いてくるのである。
(サブプロットとメインプロットの交差、といったりする)
ドラマにおける、人物相関図とは、
主人公の周りに、どのようなサブプロットが横たわっているか、
の一覧表なのである。
(駄目な表は、タレント写真の一覧でしかないが)
手慣れた人なら、それをつくるだけで、
自動的にACT 2の全体をつくることが出来るだろう。
前にも議論したように、
ACT 2内のエピソードの順番は致命的ではない。
せいぜい、分かりやすい順番であればよい。
物事の進行の、後戻りできないポイント(ターニングポイントに含まれる)までなら、
いくらでも順番を変えてよい。
伏線やミスリードなどの仕込みの都合もあるから、完全に自由ではないだろうが。
連続ドラマであれ、一話完結ドラマであれ、
全体イメージ像の詳細を、エピソード形式で描くことが、
ドラマであり、ACT 2であり、お楽しみポイントなのである。
そこにはサブプロットの発端(日本語で分かりやすく、因縁やしこりが残ったとしてもよい)
があり、風呂敷の広がりがあり、伏線があるだろう。
これは、基本的には主人公一人のことを考えていた、
ACT 1やACT 3とは、別の位相のことである。
誰と誰のドラマか、という問いの答えは、
ACT 2では頻繁に、話ごとにかわりうる。
なんなら、主人公が関わらない回があってもよい。
(少年漫画において、サブキャラが立ちすぎて主人公が後退しがちな問題については、
風魔のメモでも議論した。とくに車田先生はその傾向が強い。
僕が「雷鳴のザジ」が好きなのは、主人公が立っているからだ)
これらの劇団を運営する、という考え方をするとよい。
それぞれの人物に目端を効かせ、
全体として、面白い話が進んでいくと考えるとよい。
(風魔の場合では、ミッドポイントに聖剣を置くとして、
それまでのお楽しみポイントに、生き残り予定風魔と小次郎を主役に、
毎回のエピソードをつくってある。
3話に竜魔、45に項羽小龍、6話に霧風、7話に劉鵬。
麗羅、琳彪、兜丸は都合によって遊撃部隊としている。
必ず小次郎と◯◯、という形式にして、
主人公後退問題をかわすことについては、監督メモでも書いた。
これで小次郎周りの「世界」をつくり、人物相関図を完成させる。
8話で壬生の裏切りで図式の動くミッドポイント)
ミッドポイントは大きく物語の図式が動くターニングポイントだ。
映画では真ん中あたり(55から60分)に来るが、
ドラマではどこに来るべきか僕はよくわからないので、ここでは言及しない。
出生の秘密がわかったり、真犯人がわかったり、など、
最初のイメージ像や人物相関図が大きく変更されるときが、
ミッドポイントだと思うとよいだろう。
風魔では、映画の原則に従って、真ん中あたりにおいてみた。
壬生の出奔から陽炎がかき回す後半戦は、
ドラマのオリジナルの構造であり、
最初の図式(9対9)を大きく逸脱する。
(だからオープニングも変わるべきだと思った)
それまでの人物関係を使って、
この危機を乗り越えるのが、後半戦、と考えると書きやすいかも知れない。
後半戦のモチベーションのひとつは、
あの牧歌的に幸せだった前半戦みたいな世界(ドラマのイメージ像)に、
戻りたい、というのが無意識にあると思う。
つまり、映画は主人公の物語であるが、
ドラマは主人公+劇団の物語である。
長さと登場人物の差が、この差をつくると思う。
あと、単純に、毎週この人たちに会える、みたいな楽しみもドラマにはあるし。
ACT 2をきちんと書くのは、本当に難しい。
劇団の運営、と考えると、うまく行くかも知れない。
(そして最後ACT 3には主人公一人に話が戻ってくるのが、
理想であろう)
2014年03月02日
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