2014年03月03日

ACT 2こそ、作品のコンセプト

ACT 2論、つづけます。

作品のコンセプト、といったときに、
それはACT 2で代表されるのでは、という話。

作品のコンセプト、といった場合、
何をコンセプトの中心とするか、
書き手には難しい。
テーマ、感情移入、ログラインやプロット
のことは中心に考えているが、
その外から見た、大枠の「コンセプト」全体について問われると、
なかなか答えられないものだ。

曰く、ウリは何になるか、どう斬新で、どういう面白さなのか、
似てる作品は何か、何がそれらと違うのか。

クライマックスをウリとしたり、
感情移入のポイントをウリとしたり、
三幕構造が似ている作品を似てると言ったり、
ビジュアルや世界観が近いものを似てると言ったり、
するのは間違いだ。


この作品は◯◯である、
と一言でこの作品をいうなら、
それはACT 2のことを言えばよい。


前項でのドラマの例を思いだそう。
このドラマは◯◯を舞台とした◯と△が事件を解決するものだ、
などの、このドラマはこういうものだ、というイメージ像がある。
これは、全話のうち殆どを占めるACT 2のことを言っている。
1話(から2、3話までのときもある)のセットアップが終わったら、
もうこのドラマは毎回こんな感じなのだ、
というパターンに入ると言ってもよい。

ミッドポイント以降その基本図式が変化することもあるが、
前回議論したように、それでもなおイメージ像は不変である。

これは、おもに主人公の感情移入やセンタークエスチョンと関わる、
ACT 1と3とは、特に関係がなくてもよい。
大抵、微妙に関係のあるラインを狙ってくる。
というのも、人間はひとつの心配事に、飽きるという性質があるからだ。
ずっと同じ問題を抱えていて、そのことに忠心してられないのである。
だから、ACT 2で起こる問題は、
主人公のセンタークエスチョンと一見関係ない問題が多い。
が、これらが実は繋がっていた、というのが巧みな脚本である。


たとえば、
「ロッキー」のコンセプトは、
「世界戦のチャンスを得たボクサーが、頑張る」であり、
そのテーマ「ちっぽけなチンピラじゃない、己を示すこと」
とは関係ないし、関係ある。

「ルパン三世カリオストロの城」のコンセプトは、
「カリオストロ城での冒険」であり、
そのテーマ「かつて出会っていた王女と恋をしてはいけない」
とは関係ないし、関係ある。

「風魔の小次郎」のコンセプトは、
「学ラン忍者たちのバトル」だが、
そのテーマ「新しい形の忍びとなること」
とは関係ないし、関係ある。


つまり、
物語とは、
主人公に感情移入してセンタークエスチョンを打ち立て、
コンセプト世界を見せて楽しませ、
最後にそれと主人公の問題がひとつになるクライマックスを経て、
テーマが定着するものである、
と言える。

コンセプト世界とは、
いわゆるスペシャルワールドのことであり、
アンチテーゼと呼ぶ物語論もある。

ACT 1と3は、書き手の、内側からの視点だ。
が、ACT 2というコンセプトは、外からの視点なのだ。


こんな世界を描きたい、と、コンセプトから入って書いた作品は、
必ず失敗する。
コンセプトは人物相関図や世界設定の面白さであり、
最も重要な、主人公の人間ドラマが欠けているからだ。
たいてい、プロデューサーは、このような作品の作り方をする。
(こういう世界観は、映画になりますかね?と話を持ちかけられる。
この世界観で、あとはドラマをつくってください、という発注は、
発注は簡単だが構築は難しい。これが多くの原作ものが失敗する理由だ)

主人公の物語から書いた作品も、必ず頓挫する。
センタークエスチョンを設定したはいいが、
ACT 2という膨大なコンセプト世界を創造していないからだ。
たいてい、ライターはこのような作品の作り方をする。


ACT 1、3のペアと、2は、このように、性質が真逆である。
主人公の物語が、コンセプト世界に出会う、
そのワンセットの陰陽で作品世界を考えなければならない。
そのベストの組み合わせについては、
まだ答えが出ていない。
シャドウがひとつの答えにはなるだろう。



スピルバーグは、このACT 2の達人だと思う。
「人食い巨大鮫を退治する」というコンセプト(ジョーズ)、
「はぐれた宇宙人と少年の友情」というコンセプト(E.T.)、
「恐竜島から脱出する」というコンセプト(ジュラシックパーク)、
など、短くて分かりやすく(それゆえ力強い)、
しかもキャッチーなコンセプトをつくるのがうまい。
そのコンセプトは人に伝わりやすい。

ハリウッド映画は、とくにこのコンセプトをシンプルに、力強くするのがうまいと思う。
それは、英語の特徴でもあると思う。



ACT 2と、ACT 1と3の関係を分かりやすくするため、
またも風魔の例を出そう。

第一ターニングポイントは、風魔と夜叉の全員集合と全面戦争宣言、
第二ターニングポイントは、風林火山の完成だ。
このターニングポイントは、図式の大きな変更ポイントでしかないので、
それぞれに主人公のドラマを絡めてある。
第一ターニングポイントは武蔵とのバトルでの負傷、
第二ターニングポイントは同期麗羅の死である。
このふたつで、全体が三幕に区切られる。


ACT 1は主人公小次郎のセットアップだ。
異物である姫子の出会いでモチベーションがつくられ、
白凰と誠士館の基本図式がつくられる。
部活対決と裏でのバトルという基本型もつくられ、
小次郎周りの世界設定、壬生との因縁、
蘭子、絵里奈、絵里奈経由での武蔵などもつくられる。

ACT 3はその対としての決着だ。
壬生、武蔵、絵里奈との決着をつける。
姫子との別れで、ACT 1と対称形で物語がとじるようになっている。


ACT 2は、風魔対夜叉と部活対決である。
それぞれのバトルが、このドラマのイメージ像であり、ウリだ。
学園忍者アクション、というキャッチコピーは、
ただしくこれを表している。

また、ACT 2はミッドポイントによって前半戦と後半戦が別れる。
黄金剣を持ち出した壬生の出奔だ。
風林火山と黄金剣の最初の対決が、ミッドポイントのターニングポイントとなる。
前半戦は忍術バトル、後半戦は聖剣が加わった様相、
という大きな構造がこれでつくられる。
ブレイク・シュナイダー的に言えば、
このミッドポイントはかりそめの敗北だ。
後半戦は敗北の文脈になる。
風林火山の完成という第二ターニングポイントまで。

一覧表にすると、以下のようである。


ACT 1: 小次郎登場とミッションと初期世界
 #1: 異物との出会い、センタークエスチョン(ミッション)
 #2: 第一ターニングポイント、小次郎負傷、全員集合

ACT 2: 風魔対夜叉
 #3: 竜魔と小次郎、忍びの掟
 #4: 項羽と小龍(前)
 #5: (後)、小次郎は人の死を間近に
 #6: 霧風と小次郎、人の死をどう受け止めるか
 #7: 劉鵬と小次郎、守るべき人々、壬生の裏切り
 #8: ミッドポイント、かりそめの敗北
  (以降後半戦、聖剣編)
 #9: 麗羅と小次郎、小次郎の責任感
 #10: 姫子と小次郎、竜魔と蘭子
 #11: 麗羅の死、第二ターニングポイント

ACT 3: クライマックス
 #12: 壬生との決着
 #13: 武蔵、絵里奈との決着


今見るとミッドポイントが一話遅い気がする。
項羽小龍前後編で2話いるべきだったか、難しい判断だ。
7話ははずせないしね。

最近のドラマは、ここまで三幕構造をつくっていないものが増えている。
だからつまらないのではないだろうか。



ACT 2とは、作品世界をひとことであらわす。
それはテーマとそもそも遠いし、実は近い。
このように、企画を立て、執筆しよう。
posted by おおおかとしひこ at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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