2014年03月03日

キャラ設定は、点のおもしろさ

物語を書こうとする人にとって、
人物設定というのは楽しいものだ。
ああいうのはどうか、こういうのもある、という、
いわば着せ替え人形のような面白みでもある。

だが、これは、所詮点での面白さでしかないことに注意されたい。
いわゆる「キャラもの」
(最近だとゆるキャラか。妖怪など、日本は伝統的にキャラの国である)
とは、所詮、点での面白さにすぎない。

長所や弱点を考えたり、
表面的な性格と、裏の性格を考えたり、
それぞれの人間関係や過去の構築は、
たのしいものである。
一面的でない陰影を持つ設定は、人間の造型として理想的だし、
それをネットワークとして表現することも、一見ただしい。

キャラものの設定とは、このようなテンプレを埋めることである。
○○が得意技だが△△が弱点、とか、
普段は○○だが△のときには□になる、とか、
○○と仲がよいが、昔はそうではなかった、△事件で、仲良くなったのだ、とか、
○と△は、本人たちは気づいていないが、実は兄弟である、とか、
身長体重見た目、好きなファッションや食べ物、など、
キャラものの設定にまつわることは沢山のパターンがある。

しかし、それはあくまで点である。
線ではない。
点というのは、時間軸を持たない、現在時点での設定であるということだ。
もっと言えば、「変化しないことが前提の設定」であるということだ。

「設定は動的にせよ」でも議論した通り、
設定は動的要素を既に組み込まない限り、展開することが出来ない。

ところが、これはACT 2のイメージ像と矛盾する。
イメージ像は、静止画的設定を好むからだ。

すなわち、ACT 2の長い物語では、
この設定が点であり、変化しないことが前提である、と逆に言うことが出来る。
「キャラが変わった」ことは、この手のものには批判である。
人間とは変化する生き物であり、物語とは変化のことなのだが、
静止画的設定は、その真逆なのである。

キャラが変わるためには、なんらかのドラマを経なければならない。
それがACT 2の試練(障害)である、とも言える。
これが線の面白さだ。

単なる点の設定では、
キャラが変わらないまま、終わってしまう、変化を許さない物語になってしまう。


設定ばかりして物語がすすまない作者やファンを称して
「設定厨」などと揶揄するが、
それは点を尊ぶことをさす。


物語は、点にはじまり、その変化が線という軌跡を描くものである。

点のおもしろさを追求することは、
企画書やポスターをつくるときには、たいへん役に立つかも知れない。
企画書やポスターは、静止画的な点をえがき、
ACT 2のイメージ像を主にかくからだ。

が、それでは、変化という線の面白さを描くことは、いつまでたっても出来ない。



点の面白さと、線の面白さ、
人物造型とドラマ的変化、
それらは、映画においては、不可分である。
どちらも面白くなくてはならない。

まずは点の面白い人物像を創作しよう。
つぎに、それを線の展開の面白さにしよう。

あるいは、線の面白さを先に考えよう。
それにあわせて、変化前と変化後の人物造型を創作しよう。

やりやすい方で構わない。
ぼくは後者がやりやすい派である。
今プロットが大体出来たので、人物造型について深くかんがえはじめている。
posted by おおおかとしひこ at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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