2014年03月10日

面白い設定と面白い話は違う

静止画と動きの違いだというのは、以前から書いている。
おはなしとは動きのことであり、状況の変化の面白さである。
にも関わらず、この話の何が面白いのかを語るとき、
設定の面白さを優先してしまう。

面白い設定とは、何だろう。

ナプキンライティングでも話したような、
○○という面白さ、
とキャラの立った面白さをつくることは、
実は設定の面白さを詰めていることである。

この面白さの正体は、
組み合わせの面白さ、
動的緊張とそこからドラマが生まれそうな面白さ、
このふたつがあることだと思う。

「キックアス」を例に取れば、
「マンガのヒーローに憧れるオタク少年が、
コスプレしてヒーローを名乗っていたら、
本物のヒーローに会ってしまう面白さ」である。
オタクがコスプレしてヒーローになる、
というのがまずちょっと面白い。
どうせ弱っちいのだが、
仮面を被った瞬間、凄く強くなった気になる。(変身願望)
調子に乗ってひとつ活躍してしまう。
(嘘のヒーロー。加瀬あつしの漫画「カメレオン」が分かりやすいか)
そこで、リアルなヒーローに出会ってしまう。
その対比。
殴るとか叩くレベルのちゃちなヒーローごっこと、
惨殺や死の覚悟というリアルなヒーロー
(正義の遂行とはいえ、現行法では犯罪者)の対比。
これがたまらなく面白い。
これは、設定の面白さだ。

対比だけでない。
この設定は、ドラマというベクトルを持っている。
つまり、主人公がこのあと、リアルヒーローになる、
という成長ドラマの予感である。
ヒーローは、肉体ではなく、最初に芽生えた正義心が大事なのだ、
というテーマは、この設定の中に既に入っている。

案の定、主人公キックアスは、
リアルヒーロービッグダディとヒットガールのコンビからは、
馬鹿にされる。
しかしビッグダディの死を経験し、
復讐に向かうヒットガールに、キックアスは命を賭けて協力することを申し出る
(ボトムポイントから第二ターニングポイントのドラマ)。
レッドミストをトリックスターとして、
この物語は、オタク少年の恋と青春、リアルヒーローになるまでのドラマを往復する。

これらのドラマそのものの面白さこそが、
物語の持つ動的な面白さなのだが、
そこまで言うとネタバレなので、
この面白さが解説されることはない。

僕は物語の評論は、ネタバレしないと出来ないと思うのだが、
評論することより、稼ぐことが重要になると、
ネタバレ禁止の風潮が強くなる。
これがよい作品を市場が育てることを阻んでいる。


この物語の動的な面白さは、
既に設定の面白さの中に入っている。
そもそもこのような出会いがなければ、
動的な面白さはない。
出会う前のお互いの思いが、出会うことで変化する。
その変化の軌跡がドラマだ。
異物との出会い、に全てを集約させた、僕の異物論
(このブログの初期のもの。脚本論インデックス参照)は、
このあたりのことを言っている。

ちなみにキックアスのログラインを書いてみる。
「ヒーローに憧れてコスプレするオタク少年が、本物のヒーローに出会い、
本物になる話」
殆ど設定の面白さと同じだが、
設定から予想される、ドラマのベクトルを、
「本物になる」と一言の動詞で示しているところがポイントだ。
ログラインを書いただけでは、
レッドミストの存在やビッグダディの死、
あるいは童貞の卒業などの、
本物になるためのいくつかのハードルやサブプロットは、
含まれていない。
だが、これらのことは、全て「本物になる」という動詞で象徴することが可能だ。

この構造は、すべての良くできた脚本に、共通する構造である。

設定がすでに面白く、
それは動的な面白さを中に含み、
主人公の動詞一語で、すべての動的なドラマの本質を言い表せること。

そのように煮詰めていく過程が、
練るとか無駄を切るとかリライトする、と呼ばれることである。


面白い設定は、面白い話の全てではない。
出発点である。
面白い話をつくるには、面白い設定からはじめる。
しかし、面白い設定だけでは、面白い話にならない。
そこから発展させた、動的な面白さが話の面白さだからだ。
しかし、よい設定と話の関係は、入れ子構造のように両輪になる。

動的な面白さは、動き論でも論じたように、
記憶に残りにくい。
結果的に、設定の面白さしか、人は語ることが出来ない。


我々は評論家ではなく書き手である。
設定の面白さ、話の面白さ、ふたつを創作してはじめて、
具体的な脚本の110ページが書けるのだ。

キックアスで特にいい台詞は、
「特技は、好きな女の子の前で透明人間になること」である。
十代のモテナイ男の気持ちを、これ以上に表現している言葉はない。
これは、設定の面白さからは、決して生まれない。
話の面白さを全部決めて、はじめて産まれる具体的な言葉である。
posted by おおおかとしひこ at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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