執筆のとき、必ず起こる。
最初は勢いよく書き始めるものだ。
しかし、最後まで一気にかけることは、
恐らく万にひとつもない。
(僕は学生時代に一度だけ、一気書きを経験している)
どこかで初期衝動が途切れ、執筆が止まる。
(常に一気書き出来る人は以下を読まなくてよい)
初心者の場合、最悪そのまま途中でやめてしまい、
未完成の墓場送りになる。
(墓場でなくとも、未完成作品を多数抱える負債者のようになる)
ベテランでも息切れはよくあることで、
完成作品の多くで息切れ→継ぎ目のポイントを見つけることが出来る。
(大抵、見ていて集中力の途切れる退屈ポイントだ)
息切れは何故起こるのか。
どうすれば息切れをせずに済むか。
そのメカニズムについて考えてみよう。
大体、書く前には、
色々と構想を練るものだ。
執筆そのものより、書く前の構想に使う時間のほうが普通は長い。
だから、書きはじめのころは、
ある程度燃料があることになる。
それまで集めたネタ、新たな思いつき、
何より書きたい欲があるものだ。
それが、書いてるうちに尽きるのだ。
対処法はふたつあるように思える。
たっぷり燃料を積むまでスタートしないこと、
燃料を補給しては書くの繰り返しをすること。
前者はベテランは可能だが、初心者には難しい。
初めての海外旅行に、適切な量の準備を出来る人はいない。
大抵多すぎるか、少なすぎる。
どれぐらい準備すれば完走できるかは、
慣れが必要だ。
(構想だけしていつまでも書かない人は、書くのが怖い人だ)
後者は、連載のように、締め切りを決めないとしんどい。
人は怠けるから、よほどリアル締め切りがない限り、
コツコツとやってゆくことは難しい。
連載が長期化するデメリットも大きい。
二時間一気に見るものに対して、
執筆の意識が一気になっていない。
それは、色々なものの途切れ(テンション、伏線、統一性)を生む。
第一、問題を部分に分割しているだけで、
息切れがどうして起こるかを考えていない対症療法だから、
ワンブロック内での息切れに対処できない。
息切れは、二時間という(書くには)長丁場で起こるが、
5分や30秒の短編でも起こることがある。
これを防ぐため、
全体のあらすじ、プロット、構成、ハコガキ、
カードの並び替え、ボード(ブレイク・シュナイダー「save the catの法則」参照)
などを使い、全体の地図を先につくることは、
非常に有効な方法である。
マラソン大会に出るのに、コースを頭に入れることと同じである。
だが、地図を見ることと、実際に走ることは違う。
どんなに事前に頭に入れていても、
現場で起こることは、イメージしていたことより、遥かにリアルに起こる。
何故息切れは起こるのか。
それは、書くテンションが最初は掴めないからだ。
探り探りやっても、アクセル全開ではじめても、
どこかでアクセルを開けすぎているのだ。
だから息切れする。
執筆は、頭の中のイメージを原稿に叩きつける行為である。
叩きつける量は、標準的な映画なら、110分、4万4千字である。
10分ぶん、4千字を息切れせず書けるのは、文章慣れしている人だ。
30分ぶん、1万2千字を息切れせず書けるのは、よほどのつわものだ。
ミッドポイントまで、前半60分2万4千字を息切れせず書ける人は、多分いない。
ここに至るどこかで、(特に初心者は)必ずアクセルを開けすぎてしまう。
逆説的に、僕は「クライマックスを最初に書く」
という方法を提案する。
物語で最もあなたが描きたい瞬間とはどこか、
既に議論した。
それは、問題が解決する瞬間の、カタルシスだ。
クライマックスこそ、
最もテンションが高く、書き手のボルテージが最高になり、
それがカタルシスを生むから、面白い筈である。
じゃあそっから書けばいいじゃん、という発想だ。
映画は頭から順番に見るものであるが、
頭から順番に書かなければならないルールはない。
一番書きたいところを、先に書いてしまえ。
自分のアクセルを全開にせよ。
準備した熱情を、クライマックスで使いきれ。
針を限界まで振り切れ。
そこが、全体の中で、一番テンションが高いところだ。
逆にいえば、これ以外の部分は、
全てクライマックスより、テンションが低いのである。
クライマックスのテンションを頭に入れる。
そこではじめて、オープニングから書き始めるのである。
ひとつだけ禁止ルールがある。
決して、最初に書いたクライマックスは、
執筆中、一度も見てはならないことだ。
記憶の中のテンションを想定しながら、
一から書いていこう。
おそらく、あらすじやプロットやボードは既に準備済みだろう。
地図と、最終目的地の体験の記憶が、
あなたの旅の道しるべになる。
息切れを起こすような、アクセルの開けすぎは、
これである程度抑えられる。
オープニングから執筆すると、特に初心者は、
何でもかんでも書こうとする。
主人公の暮らし、癖、周囲の環境、
あとで使わない伏線や描写の数々。
それが息切れの原因だ。
クライマックスの一番書きたいところはもう書いたのだから、
オープニングから、逆算で書けるようになる。
クライマックス必要なものだけを、書くことが出来る。
それでもどこかで息切れするかも知れない。
もしそうなら、
二番目にテンションが高いところを先に書くとよい。
第一ターニングポイント、第二ターニングポイント、
ミッドポイント、あるいは後半に訪れる7分半の悪魔、
これらのどれかのビッグポイントであることが多い。
それを小目標にして、続きを書くとよい。
さて、クライマックスにたどり着いたら、
一度書いたものは一切見ずに、
これまで書いてきたものの、万感をこめて、
全く新しく書くとよい。
ラストシーンまで書き終えてから、
最初に書いたクライマックス原稿をはじめて見てよいが、
必ず、あとに書いたほうがよいはずだ。
テンションもより高くなっている。
それは、それまで書いてきた思いが爆発するからである。
息切れは、全体のペースが見えないから起こる。
最初無理するか、途中で無理するから起こる。
どこまでが無理をすることかは、
最初から書いていては、一向に見えない。
常に原稿の最新点が更新され続けているからだ。
物語が起伏の芸術だとするなら、
起伏の一番をまず決めるのだ。
絵を書くときに、一番明るいところと一番暗いところを決め、
その間で描くことに似ている。
音楽をつくるときやミキシングをするときに、
一番大きい音をきめ、
全てはそれを基準に他を決めることに似ている。
まずマックスの力を、マックスの部分で使う。
あとは微調整だ。
オープニングや異物の出会いや第一ターニングポイントは、
マックスのテンションではまだない。
そこにマックスを投入してしまうことが、
「これ以上書けない」という息切れの原因である。
(そういえばマラソンでも、ラストスパートだけ別個に訓練するらしい。
それに似たやり方かも知れない)
風魔では、ラストに小次郎対武蔵の大一番が控えていることは、
最初から分かっていた。
書くまでもなく、僕は諳じれるほどの風魔ファンだ。
それが終着点である明確なイメージを持っていた。
だからこそ、色んなバトルで遊べ、それがバラエティーを生み、
話の深みになっていったのだ。
(絵里奈が現れるという追加アイデアは、実際の執筆中に思いついた。
当初は、病院で武蔵と小次郎が鉢合わせする予定だった)
2時間でも13話でも5分でも、
原則は同じだ。
我々が書くものは、毎回違うものである。
前回までの経験が生きるようなら、
それは新しいものを書いていないことになる。
新しいものを書くということは、
毎回新しいことをするということだ。
だから、執筆は、毎回苦しい。
これはベテランでも同じである。
息切れは、必ず起こる。
部分と全体に、常に気を配りながら、
執筆はすすめよう。
全体がリアルに見えるほど、休憩は小休憩で済むはずだ。
ちなみに、この方法の、更なる大技がある。
第一稿を書きおえてしばらくして、
テンションだけは覚えているような、
上手いことおぼろげになったとき、
白紙に一からまた書き直す方法である。
(第一稿は、見てはいけない)
一度やったパフォーマンスの、テイク2を一気にやるのだ。
キツいが、やってみればわかる。
必ず、テイク1より息切れがない筈だ。
2014年03月13日
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ブログを拝見させて頂きましたが、どれもこれも勉強になる記事で読みふけってしまいました(笑
特にこの息切れというのは、物凄く共感できました。
私の場合、映像を作る時、曲を聴いてアイデア出し、おおまかなあらすじ、資料集め、絵コンテ、制作・・・という順番で行いますが、やはり絵コンテ描いている段階で息切れと言いますか「ここどうみても間に合わせの間があるなあ・・・」というのが出てきて詰まってしまいます。
こちらの記事に書いてあることは一つの対処法としてとても参考になりました。どうもありがとうございました