現実世界では、なんの意味もない問いだ。
守りと攻めは、強い方が勝つ。
「どちらが強いか」はナンセンスだ。
しかし、映像表現に限れば、攻めの方が強い。
守る絵面は、地味である。
「現状維持」が守ることだ。
城を守りきる、などの絵を想像すればわかる。
敵軍の猛攻に耐え、敵軍が撤退し、
「守ったぞー!うおー!」という勝鬨は、
なんだかカタルシスがない。
城攻めは、はるかにドラマティックだ。
落城、という言葉が既に動詞である。
映像表現とは、moveで描くことである。
だからmovieという。
動きそのものが、映像表現の根本だ。
動きとは変化のことである。
城を守りきったとしても、
その前後に城の変化がない。
城を攻め落とせば、敵の城は燃え盛る廃墟となる。
その変化の差を、ドラマティックというのである。
攻めることを主眼としたものは、
尖っていたり流線型であったり、
動きを生じるものが中心である。
一方、守るものを主眼としたものは、
強固な不動のものである。
動くもの対動かないもの。
ムービーでは、動くものが強い。
従って、守ることを主眼とした物語は、
攻めることを主眼とした物語より、
確実に面白くない。
城が題材ならまだ面白くなるかも知れないが、
家庭を守る話と、家庭が崩壊していく話では、
当然後者だ。
物語は、攻めと守りで出来ている。
そして、攻める側が必ず勝つ。
当たり前だが、現実とは違う、映画だけの真実である。
世の中の闘い(コンフリクト)は、
守る側の勝利のほうが多いかも知れない。
それと、映画の中は関係がない。
映画は嘘である。
その嘘のルールに、我々が何を本当らしく描くかである。
2014年03月16日
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