2014年03月16日

守りと攻めは、どちらが強いか

現実世界では、なんの意味もない問いだ。
守りと攻めは、強い方が勝つ。
「どちらが強いか」はナンセンスだ。

しかし、映像表現に限れば、攻めの方が強い。


守る絵面は、地味である。
「現状維持」が守ることだ。
城を守りきる、などの絵を想像すればわかる。
敵軍の猛攻に耐え、敵軍が撤退し、
「守ったぞー!うおー!」という勝鬨は、
なんだかカタルシスがない。

城攻めは、はるかにドラマティックだ。
落城、という言葉が既に動詞である。


映像表現とは、moveで描くことである。
だからmovieという。
動きそのものが、映像表現の根本だ。

動きとは変化のことである。
城を守りきったとしても、
その前後に城の変化がない。
城を攻め落とせば、敵の城は燃え盛る廃墟となる。
その変化の差を、ドラマティックというのである。


攻めることを主眼としたものは、
尖っていたり流線型であったり、
動きを生じるものが中心である。

一方、守るものを主眼としたものは、
強固な不動のものである。

動くもの対動かないもの。
ムービーでは、動くものが強い。


従って、守ることを主眼とした物語は、
攻めることを主眼とした物語より、
確実に面白くない。

城が題材ならまだ面白くなるかも知れないが、
家庭を守る話と、家庭が崩壊していく話では、
当然後者だ。


物語は、攻めと守りで出来ている。
そして、攻める側が必ず勝つ。

当たり前だが、現実とは違う、映画だけの真実である。

世の中の闘い(コンフリクト)は、
守る側の勝利のほうが多いかも知れない。
それと、映画の中は関係がない。

映画は嘘である。
その嘘のルールに、我々が何を本当らしく描くかである。
posted by おおおかとしひこ at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック