ゆえあって、今の少女マンガをがっつり読んでいる。
僕はバリバリの男子校育ちで、
黄金期ジャンプ世代で、
車田正美や原哲雄やゆでたまごや宮下あきらの世代
(せいぜい高橋留美子やあだち充の世代)だから、
少女マンガは昔からすこぶる苦手である。
少女マンガにおける理想の男子像が、
伝統的な「本当の男とは」像と全く違って、違和感がありすぎるのだ。
しかし、ちょっと分かってきた。
男が女を理解しないのと同じくらいに、
女も男を理解してないだけということに。
勿論今の少女マンガ全てを読み、
何もかも分かった上で言っているのではない。
今の女子の理想の男子は、コミュニケーション充だ。
気持ちの変化に気づいてくれて、先回りしてくれる人である。
僕らの時代はそうだなあ、三高だったかな。
共通するのは、
「自分より上の人」であるということ。
そして、「自分の興味のある分野において、上の人」。
恋とは一種の憧れであるから、
それは間違っていない。
(大人になると憧れだけではやっていけない、
生の人間同士の格闘があるのだが、中高生中心の恋愛は、
そこまで描くのは精神的に無理というものだ)
さて、このようなものを好む女子がたくさんいるとして、
昔からある違和感の正体が分かった気がする。
昔からある「私と仕事とどっちが大事なの?」という彼女づら、嫁づらの、
一番奥底にある、男を分かってない感じの正体が分かった気がする。
男は、恋愛は二番である。
あるいは、男の恋愛はプライベートであり、
表でやることではない。
つまりプライベートは裏であり二番である。
男の一番であり表は、
使命感である。
男の仕事は、
出来る(得意)からやる、とか、
頼まれたからやる、とか、誰かがやらなければいけないからやる、
という類いのものではない。
男は、俺がやらなければいけない使命感の為に生きるのである。
その使命感とは、
ヒーローのようなものである。
男が何故戦場へ行って死ぬことが出来るのか。
女や家族を守るプライベートなことが理由ではない。
国家や正義という使命感の為に死ぬのだ。
男が会社に尽くすのも、縦社会で我慢するのも、
自分の仕事が社会に使命を持っていると誇るから、
すすんで汚れ役をするのである。
その誇りこそ、男が一番大事にするものだ。
男にメンツがあるのも、使命感を一番にするからだ。
使命感とは、世界の構造をよりよくすること、への思いだ。
地図が読めない女と違い、
男は地図のなかでの自分の位置を確認しながら生きる。
地図とは世界の構造であり、自分は地図をよりよくする為に今ここを走っていると考える。
肉体的に弱くて構わない女と違い、
男は常に暴力と接している。
それはつまり自分の中の暴力のあり方を考えることだ。
(そのコントロールの下手な未熟者がDVをする)
女同士が出会ったとき、女の価値を値踏みしあうように、
男同士が出会ったとき、男はこいつと殴りあうならどちらが勝つか、
1秒以内に判断しおえる。
そうやって、強さランキングのどこに位置するか、
本能的に判断している。
この強さランキングは、世界の構造の地図のひとつだ。
その世界の構造をよりよくすること、
不正や不条理や悪を排し、ただしくて明るくてすみよい世界をつくること。
戦争でも、会社組織でも、ものづくりでも。
使命感にプライベートは必要ない。
だからヒーローに対価は発生しない。
男は、使命感という飯を食うのである。
「飯は食わねど高楊枝」の故事は、このことをさすのである。
「私と仕事とどっちが大事なの?」という問いは、
個人を犠牲にして社会の正義に貢献する使命と、
二の次にしてきた個人的な思いの、どちらを取るかという二択だ。
女を取れば、男は男でなくなる。
だから選べないのである。
女における、子育てというものに、この使命感は近いかも知れない。
母は、子供の為に全てをなげうつ。
愛情の全てを注ぐ。
理由はない。
責任とか愛情とか説明できるけど、もっと運命的な、理由のない理由だ。
それはほっておくわけにはいかない、使命なのだ。
子育てに必死な嫁に、旦那が嫉妬して、
「子供と俺とどっちが大事なんだよ」と発言して
うっとおしがられるのは、対の現象だと思う。
最終的に、旦那より子供を取るかも知れない。
それは、人間とは自分の使命を知ったら、それを遂行する生き物だからだ。
妻子を残して死んで行く勇敢な兵士は、
いつの時代も妻子の為だけに死んで行くのではない。
妻子も含んだ、もっと広い世界の構造を変えるために、
喜んで捨て石になるのである。
(だから軍部の裏切りは、大変な恨みを買うのである)
少女マンガとは、
女未満の女が見る物語かも知れない。
だから、女未満の者が理解出来るレベルの男しか、
描かないのかも知れない。
コミュニケーション充なんて、
使命を持つ男には必要ない。
男同士の友情が無言で成立するのは、
同じ使命のもとにいる戦友だからだ。
男同士の友情はステキ、と憧れる女は結構いる。
僕は子育てしてる女たちの連帯を、ちょっと羨ましく思う。
お互い、無い物ねだりをしてる可能性がある。
主人公の動機だけが、
嘘の世界の中で真実だ、と書いた。
動機がほんとに個人的なものならば、
それはあまり共感されない。
そこになんらかの使命感の匂いがあると、
話は「表」の話になる。
そうでないと「裏」の話になる。
つまり背徳感や犯罪を題材にした物語だ。
裏の話は、ハッピーエンドにはならない。
表の話は、ハッピーエンドになるべきだ。
それは、個人と使命感の間にある問題である。
というところまでは、大体分かったような気になった。
でもやっぱり女はヒーローじゃなく、
プリンセスであるらしい。
2014年03月17日
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