ビジュアルだけで中身がスカスカのペプシCMが、
どうやったら映画になるか、
逆に考えてみよう。
(2015年追記:2015/7月時点で一年前、
エピソード0しか公開されていない時のものです。
現在エピソード123、キジ編まで公開。
結局合流までのバックストーリーばかりで、
いつまでたっても「本編」がはじまっていませんね。
以下に示したのは、エピソード0だけをベースに、
映画化するには何が足りないかを議論したものです)
まずは三幕構成だ。
クライマックスは鬼ヶ島での鬼退治だろう。
とすると、二幕は鬼ヶ島までの旅だ。
とすると、一幕は旅に出るまでの話だ。
第一ターニングポイントは、
センタークエスチョン「鬼を退治出来るか?」を示す、「鬼退治に出掛ける」である。
第二ターニングポイントも、
再びセンタークエスチョン「鬼を退治出来るか?」を示す、「鬼ヶ島上陸直前」だ。
まあ妥当な構成だ。
ACT 1: 鬼退治に出るまでが30分
ACT 2: 鬼ヶ島につくまでの冒険の旅が60分
ACT 3: 最終決戦が30分
の三幕構成である。
奇をてらわないとすると、この構成で面白い物語、
いわば王道を考えなければいけない。
さて、主人公桃太郎の目的を考えよう。
鬼を退治すること、である。
目的には動機が必要だ。
何故桃太郎は鬼を退治するのか?
村人が多数殺され、このままでは村がなくなってしまう。
(おそらくオープニングは、鬼の襲来である)
その為に桃太郎は危険を犯す旅に出る。
しかし、これは理由としては弱い。
映画とは人間を描くものであり、
一般的なヒーローを描くものではない。
人間桃太郎が敢えて旅に出る理由が必要だ。
CMのテーマが、
「自分より強いものを倒せ」だから、
映画のテーマもこれになる。
何故桃太郎は、自分より強いものを倒すのか。
なぜ倒したいのか。
強いものに挑むということは、
自分が殺される可能性が、五分以上あるということだ。
(昔話の設定に準じて、元々桃太郎は強いとしよう。
しかし、強い人間が弱い鬼を退治するのでは、
自分より強いものを倒せ、というテーマの話ではない。
つまり、鬼軍団は、桃太郎より強い)
その死の危険を犯す意味は。
「村を守るため」なら、
何故村人の男衆は武装して桃太郎に随行しないのか。
その領国の王(殿様、庄屋さま)は何をしているのか。
外敵鬼の存在をどのように思い、どう処置しようとしているのか。
桃太郎が「単独で」旅をし、強いものに挑む理由。
これが何故かを考える必要がある。
その1:村人の男衆はもはや桃太郎だけ。
じいさんばあさんに育てられた、ということは、
ある種の老人村であると仮定する。
戦闘員は桃太郎だけだ。
しかし、桃太郎が無謀な戦いを挑む理由とは。
じいさんばあさんが惨殺された復讐か。
親友や好きな子を殺された復讐か。
しかし復讐が動機だとすれば、
「自分より強いものを倒せ」という話ではない。
その2:領主の依頼。
よくあるパターンだ。
田舎村の力自慢桃太郎のところへ、
都会から使者がきて、鬼退治を頼まれるパターンだ。
桃太郎の動機は武者修行である。
しかし命をかける旅の動機としては薄い。
ドラゴンボールでは、オラわくわくするぞ、
とやや頭の弱い悟空だからそれができた。
(のちに、戦闘民族サイヤ人の性質、とあとづけした)
CMを見る限り、随行者はいないので、
依頼の線も薄そうだ。
この場合の目的、
すなわち強い鬼を倒すことには、
二つの理由がなければならない。
ひとつは公的理由。
なぜ桃太郎は、鬼を倒さ「ねばならない」か。
これは村が襲われたことや、領国が侵略されていることでいけそうだ。
もうひとつは私的理由。
なぜ桃太郎は、自分より強い鬼を倒し「たい」のか。
その3:鬼退治は目的でなく手段である。
村の成人の儀式が、ライオン(的な)を倒すこと。日本にはない習慣。
大切な恋人が連れ去られた。設定にないし。
大切な恋人に自分より強いやつを倒せば結婚と言われた。無理がある。
村が領主によって、とりつぶしにあう。
村を救うためには、領主の出した条件、鬼退治をする必要がある。
とりつぶしを回避出来るどころか、村に宝をもたらせる可能性もある。
最後のパターンは、
「潰れそうな部を再興する」というよくあるパターンだ。
王道、ということでこれを採択してみよう。
公的な理由は、鬼退治と引き換えに村を救うこと。
私的な理由は、村をとりつぶさせないこと。
公私が一致した動機となる。
となると、桃太郎が愛する村の景色や、
村祭りを楽しみにしている人々や、
ちょっとした喧嘩で誤解したままの人、
などを一幕に前ふることができる。
これらのあれこれは、
村がとりつぶしにあえば、散り散りに解散させられるのだ。
桃太郎個人に起こった人間ドラマがあるといいだろう。
喧嘩したままの人の誤解をとき、
再び村祭りをするために、
桃太郎は個人的な理由で、旅に出るのだ。
今後のために、村一番の怪力自慢、という設定は残す。
二幕:
村の若い衆も決起して、村を出発しても構わない。
が、旅立ってすぐに鬼の一団に遭遇し、
桃太郎以外は全滅するのである。
桃太郎は、命からがら脱出する。
ここで桃太郎よりも鬼のほうが強いことを示せる。
桃太郎には協力者が必要だ。
噂に聞いていた盗賊、「犬」のところへ向かうことにする。
犬を仲間にするためのドラマを創作する。
例えば危険な山賊「猿」に犬の恋人がさらわれたとする。
桃太郎は二人で猿を倒しにいこうと提案。
お前がどれだけやれるんだ、と犬が反発、
二人は喧嘩をし、桃太郎のほうが上であることを示す。
恋人を取り戻せれば家来になると犬は誓う。
桃太郎と犬は猿(軍団?)を倒し、猿をも家来にする。
そろそろミッドポイントだ。
桃太郎は前半快進撃を続けてきたので、
見せかけの敗北に転じよう。
猿は実は雉の配下で、軍門に降るふりをして雉に桃太郎たちをとらえさせる。
雉は、鬼の家来であった。
桃太郎と犬は、雉のアジトにとらわれの身となる。
雉の部下に、かつての犬の仲間がいた。
犬は彼を説得し、牢屋の鍵をあけてもらい、
脱出しようと。
それを猿が嗅ぎ付けた。
中ボス雉の前に連れてこられる桃太郎と犬。
雉はサディストだ。
桃太郎を切り刻むことを楽しもうとする。
しかし桃太郎の意志は強く、拷問に声をあげない。
桃太郎には強い意志がある。
村をとりつぶしから守ること、
一緒に旅立った仲間の仇をうち、鬼を倒すことだ。
桃太郎は、雉や猿の軍団の力があれば、
鬼の勢力に対抗できるのではないかと、雉を説得しようとする。
雉は鬼ではない。
鬼に従っていれば殺されないという計算があるから、鬼の配下にいる。
しかし桃太郎の言うことも一理ある。
雉は桃太郎を試す。
鬼の一団を呼び、桃太郎と一騎討ちをさせる。
桃太郎の怪力無双を目の当たりにする雉。
これなら鬼を倒せるのではないか、と雉も思う。
誰もが、鬼を快く思っているわけではない。
桃太郎、犬、猿、雉とその配下の盗賊団、
これらが団結すれば鬼の勢力に対抗出来ることを雉は確信、
鬼を裏切ることにした。
猿の情報から、鬼ヶ島の場所がわかる。
雉の裏切りがばれる前に、新月の今夜、
鬼ヶ島へ侵入し、夜襲をかける計画だ。
三幕:
あとはバトルである。
自分より強いやつを倒すには、
仲間を増やすこと、そのためには強い意志と大義が必要、
というのがテーマになりそうである。
鬼の側の正義(言い分)は何だろう。
強い民族の侵略行為、というだけでいいだろうか。
道義的によくない民族にする(女子供も惨殺)と、ハリウッド的、
とはいえ彼らにも彼らの事情がありボスが死ねば投降する、
とすれば日本的な解決になるだろう。
ラストバトルは巨神兵との戦闘であるが、
あれは宇宙人ということでよいのか?
それとも魔術的な何かか?
魔術的なものだとしたら、
鬼の一族の魔術で造った守護神的なやつが、
いつしか意思をもちはじめ、鬼の軍団を侵略に駆り立てた、
とでもしてみるか。
鬼たちはあの巨大神のいいなりである。
しかし桃太郎が初太刀をうちこみ、巨大神がひるむのをみて、
心を変える鬼たちも現れる。
犬、猿、雉たちも勇敢に巨大神に攻撃、
決して負けていない所を見て、鬼たちの中に巨大神を裏切る者があらわれ、
戦力の拮抗が桃太郎側にかたむき、勝利する。
これまで鬼たちが奪ってきた宝を村へもちかえり、
離反して巨大神を攻撃した鬼たちも、村に居住権を与えることとした。
ラストシーンは、村祭りであろう。
自分より強いやつを倒せ。
一対一では無理でも、同じ目的を持つ者で協力すれば、
倒せることがある、
というのが、この映画のテーマになりそうである。
あのCMの中には、このような物語性が含まれていたか。
否である。
あのCMの中には、テーマが物語と一致していたか。
否である。
物語がテーマを語るように、プロットを組んでみた。
あとは各人物の性格づけなどをしていけばよい。
最も大事なものは、動機である。
感情移入に足る、動機である。
そこがうまく作れれば、あとは別の目的を持つ人物を出して行けばよい。
2014年03月20日
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あれを映画でみてみたいと話題になってるのもわかります。
監督の映画脚本案を楽しく読ませていただきました。展開とかけっこう熱い感じで面白そうですね。
ただ、村を旅立つ動機やきっかけとして、村をとりつぶしをなくしたいというのはちょっと、つかみとしては弱い気がします。あのファッション性が高い映像に期待するものとしては、なにそれ?!という奇想天外なつかみがほしいような…
監督、ただの誹謗中傷のようなコメントにまで、丁寧に答えるなんて大人ですね…。監督の見解にたいして、具体的な批判をかくならともかく、便所の落書きのようなコメントはブログのファンとして見たくもないし、承認してほしくないです。
桃太郎の動機付け、キャラ設定ですが、桃太郎は金に汚い賞金稼ぎというのはどうでしょう? もちろんある程度力のある。 鬼を倒せば巨額の報酬がでる、あるいは鬼の住み処に財宝があるなど、人助けより自分のハンターとしての能力を試したいなど少しヒール的な要素を入れても面白いかと思います。
最終的に人助け(村を救う)、戦いながら少しずつ正義感が芽生えるというのは平凡でしょうか?
とくに、動機が重要だという点。
ありきたりかもしれませんが、鬼は自分の父親が成り果てた姿で、倒すことが供養になるというのは戦う動機としてどうでしょうか?
公的理由は 村を守るため
私的理由は 息子だから 強い父を自ら倒して乗り越える
みたいな。
加えて言うなら、桃太郎自身も鬼の一族だったりして。
父殺し、父を乗り越えることは人間の基本的テーマで、
面白い話が書けそうです。
出自の話はどうだろうなあ。
新造人間キャシャーンは、人類を守るために、
東光太郎が改造手術を受けてアンドロイドになった姿。
しかし人類に「お前もアンドロイドの一員じゃないか」
と石を投げられる、という強烈なシーンがあります。
原作版「デビルマン」でもあったテーマです。
それを越えるおはなしを期待します。
犬猿雉の三匹のサブプロットとテーマを、解離させないようにするのがキモの予感がします。
(ちなみに「桃太郎」は、鬼門封じだということはご存知でしょうか。
丑寅の鬼を逆方向の戌申酉で封じる暗喩が入っています。
僕はそれを分かった上でプロットに組み込んでいます)
以下初心者のストーリーです(^^;;
エピソードゼロだから、最後は旅にでるまでとする、鬼は元は桃太郎より強い人間(桃太郎の兄だったりして)で、二人共に悪だった、鬼になった兄は悪の頭になって世のすべての財宝を独り占めしょうとした、それに対抗するため桃太郎が山賊の犬猿雉を仲間にして討とうとする。
ゼロはここまでで、本当の桃太郎のストーリーは第二話で、途中で桃太郎が以前いじめた人間苦労を体験して、善に変わる。
「ゼロはここまで」では、話をつくったことにはなりません。
結論を出すまでの「本当のストーリー」を最後まで考えてください。
それが「ちょっと普通でない」なら才能があります。是非脚本家をめざすべきです。
ちなみにその結論とは、「自分より強いヤツを倒せ」でなくてはなりません。(それありきだから)
ちなみにプロットとは、まさに「結論までの誘導過程」のことです。
内容そのものではないです。
プロットと実際の脚本の中身の関係を知りたければ、「脚本添削スペシャル」で具体的に詳しく解説をしています。
脚本論インデックス2014からたどってください。
そうすれば、鬼退治の後に、次の強者を求める為に旅に出るという、パート2的な余韻も残せるし「シェーン」のように旅立つ桃太郎の後姿を見守る目的を果たしたお供たち(犬、雉、猿)のシーンで終わるって感じで良いかなぁと思いますが
長くなりそうなので、新記事書きました。
2015.7.25「バトルジャンキーは、主人公にならない」です。