2014年03月20日

設定は、動的にせよ2

理論的なことは1に書いたので、続きを。
「本当はAをしたいが、Bという問題がある」
(Bのせいで、A出来ていない)
のように組み、
それが今の立場を決めていて(現在、近過去)、
今後の言動を決めていく(未来)、
のように考える。


劇に登場する人物には、
必ず目的や願望がある。

Aをしたいのなら、今すぐすればいい。
しかし、それをしていない現状がある。
Bのせいである。
Bは色々あってよい。
金のせい、チャンスがない、自分に勇気や自信がない、
恩義がある、約束してしまった、情勢が悪い、
などの、誰もがそうならA出来ない理由を考える。

これが「きっかけ」(外部からのなにか、
主人公の行動、そこから波及した何か)によって、
Bをするチャンスを得る。
だから動きが生まれる。

Bならば誰もがA出来ない、という客観的状況が先にあり、
誰もがAをしたくなるようなきっかけを、逆につくる。

物語の最初のきっかけは、偶然でも構わない。
(カタリストという)

しかしそのあとの全ての連鎖は、
全てが必然的に繋がっている必要がある。
誰もがそうならAをする、
その結果、誰かのBが解消され、
その人がその人のAをする。
そうやって、話は展開する。

これが理屈の連鎖である。

以前話したように、これは複数で行われる将棋のようである。
これがこれをするなら、あれはああなるはずだ、
という誰もが思うものが、展開の予想である。
それは、個人によってバラバラなものではなく、
誰であっても、その事情ならそうするだろう、
という当然の行動でなければならない。
(ここが主観的になってしまっていると、
「何故そうするのか分からない」
「それするより他に○○すればいいだろ」
という、シナリオで最も避けなければいけないものに陥る)

それが、観客の思うテンポで進むものが、
テンポがいい話、ということだ。

ミスリードをしておいて意外な展開にしたり、
そこに謎をつくって隠し持ちをしたりするのは、
展開の工夫で当然アリである。
また、その連鎖が一気にドミノ倒しに解決展開していく所は、
大抵物語の一、二を争うハイライトになる。


Bは個人のA(動機、目的)にとって障害という。
ある個人Pの障害が別のQ(の目的)であり、
Qにとっての障害がPというループ構造(矛盾)のとき、
PとQは、互いに相容れず、
コンフリクトの関係にあるという。
(コンフリクトを葛藤と訳すのは誤りであることは既に書いた)


物語とは、これらの連鎖とコンフリクトの連鎖であり、
順目の展開とそうでない意表の展開の、
どちらかを選びながら進んで行くものである。


設定の動的、とは、このようなことをいう。
これらの連鎖が起きるように、
それぞれのAとB、人物関係を組んでいくのだ。
posted by おおおかとしひこ at 20:51| Comment(5) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
月初め頃より、一からブログ読ませていただいています。
私が読んでいる新井一さんの「シナリオの基礎技術」という本でわからなかった点や書かれていないことなどが理解できて、とても勉強になっています!


今回の記事でひとつ質問をさせてください
『誰もがそうならAをする、
その結果、誰かのBが解消され、
その人がその人のAをする。
そうやって、話は展開する。』
の「誰もがそうならAをする」とはどういう意味でしょうか?
理解力が乏しく申し訳ありません。
お手数でなければぜひ教えていただきたいです。
Posted by 本田 at 2015年03月13日 19:48
本田さまコメントありがとうございます。

具体例が思いつかなかったので、抽象的な説明になってしまってますね。
A:金持ちになること
B:貧乏なこと
だとしましょう。これが宝くじ1億当たったとします。
このとき誰もがすること、
例えば車を買うとしましょう。
それが誰かにとっての駆動力になるようにするのです。

例えば今月一台も売らないと首になるセールスマンにとっての救世主になり、そのことで念願の…
になってもいいし、
女セールスマンにとっての理想の出会いになったり…
などに繋げることも可能です。
次の人にもABを仕込んでおき、更に次の人にも…などのように巧みに仕込めば、
最初の宝くじからたとえば10人の連鎖を組むことも可能です。
(試しに考えてみるといいでしょう)

このときに、「宝くじ当たった→車買う」などのように、誰もがそうするだろうことにすると、分かりやすいです。
「宝くじ当たった→整形する、借金返す」などは、やや分かりにくい(事前に説明を必要とする)行動になりますね。
それもABの前振り次第ではありますが。

あと、新井一のその本は、役にたたないと僕は思います。
分析者としてはまあ分からなくもないけど、実践のお供にはならないと思います。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年03月14日 16:25
詳しい解説ありがとうございます。
理解できました!


そうなのですか、、このブログに来たのは『シナリオの基礎技術』の中のテーマの定義が、「読者や視聴者や観客に伝えたい自分の考え方や主張」と書いてあり、ではカリオストロの城のテーマってなんだろうとネットで調べていたら検索で出てきたというのがきっかけだったのです。
私は大岡さんのテーマの定義の方が理解しやすかったので(強力なテンプレの記事より)このブログを見始めました。
たしかにわからない部分もあったのですが、「基礎技術」の本としてとてもいい本田と思ってました、、
役に立たないというのは新井さんの著書であるからでしょうか?実際にお読みになっての感想なのでしょうか。。どういう点が役に立たないのか理由をぜひお聞きたいです。



長々と申し訳ありません!しかも、本題でない部分に・・・
これからも、過去記事より追って読ませていただきます!(まだまだ時間はかかると思いますが・・汗)
毎回、すばらしい記事で本当に勉強になっています!少女漫画についての記事は大岡さんの鋭い男性論に読んでいてとても面白かったです。スカッとしました!
本当にいつもおつかれさまです。引き続きお世話になります。


Posted by 本田 at 2015年03月14日 22:13
理由はシンプルで、二十年以上前に買ったけど一度も役に立たなかったからです。
僕は学生時代から、それこそ身長の何倍かは原稿を書いてると思いますが、苦しいとき、辛いとき、具体的じゃなさ過ぎて、助けてくれたことがないのです。

ネットのない時代、我々は本屋でしかシナリオを学ぶことが出来ませんでした。
みんな自己流で、苦しみ苦しみやってたと思います。その時、色んな本を開き、先人の知恵を請おうとするものです。
我が家には二十冊ぐらい脚本の本がありますが、本当に役にたったのは三冊で、
○宝島社のムック「シナリオ入門」(シド・フィールドのワークショップ用の邦訳。絶版。複雑になったフィルムアート社版より本質的)
○フィルムアート社「ハリウッドリライティングバイブル」(リンダ・シガー)
○フィルムアート社「save the catの法則」(ブレイク・シュナイダー)
です。

ここに書いてない、もっと細かいこと、実践に則したこと、もっと大まかなこと、
などをここでは書いてるつもりです。後進のお役にたてるなら幸いです。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年03月14日 22:54
回答ありがとうございます。大岡さんのスパッとした主張にはしっかりした根拠があるのだと改めて実感いたしました。ご意見参考にさせていただきます。これからも、大岡さんのブログにお世話になります。よろしくお願いします。
Posted by 本田 at 2015年03月15日 19:14
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