2014年03月22日

設定は、逆をつくる

人物設定のコツ。
目的と障害という時間軸を持つ設定以外に、
時間軸に左右されない設定をつくる。
(いわゆる設定はこれを差すが、
これのみでは浅い物語しか書けないことは既に議論した)
その中でも、キャラクターを示しやすいのは、
性格である。

性格の中に、逆の要素を必ずいれておく。



性格は、逆をつくる。
「残酷で冷徹」ではなく、
「残酷で冷徹だが、自分の好きなものにはやさしい」
「優しくて強い」ではなく、
「優しくて強いが、キレると怖い」
などが定番だろう。
「残酷で冷徹だが、自分の好きなものは溺愛する」
マフィアが自分の猫や娘を溺愛、
などはよく見るキャラクターだ。


人間は一面的な性格ではない。
多面的である。
試しに「自分の性格」をキャラクター設定のように書いてみたまえ。
一面的でなく、AでありながらBという面も見せる、
ときにCでもある、
などのように、多面的である筈だ。

このとき、アンサンブルで議論したように、
主旋律と逆をつくり、対比的にすると、
キャラが立ってくるのである。

万能だがネズミには弱い(ドラえもん)、
ぐうたらでダメ男だが、優しくてやるときはやる(のび太)
など、弱点と長所として語られるものもある。

キャラクター設定がよく分からなくなったら、
具体的な映画の、人物設定を書いてみるとよい。
それらを何本もの映画でつくり、
列挙するとよい。
キャラクターの立っている人物ほど、
逆をうまく使っている筈である。


そして次に気づくことは、
キャラクター設定は話そのものではないということだ。
事件や解決や挫折や復活、目的や行動といった、
時間軸を持つプロットと、
性格設定は、実は無関係である。
そのような行動を生き生きさせる為の、
生きた人物にする為の、
おはなしを魅力的に見せる為の、
性格設定は、小道具に過ぎない。

「桃太郎」CMの批判ポイントは、まさにここである。
表面的な設定の羅列は、物語にはならない。
しかも逆をつくったりするなどの、
立体的工夫すら見られない、幼稚な設定である。


プロットに対する小道具、として性格設定は見るべきである。
だからといって疎かにすべき所ではない。
その人間の実在性に直接関わるからだ。
そんなやついないよ、と思われたら終わりだ。
こんなやつ、本当にいる気がする(リアルだ)、
と思われる設定が書けるのは、
人生経験や、人間とはどういう生き物か、が深いほど可能だ。

大抵、主人公および重要人物に、
この深い性格設定が使われるだろう。

注意すべきは、映画とは、複数の人物のアンサンブルで物事がすすむ、
ということである。
アンサンブルの中でも対比的や、対照的や似た性格などをつくっていく。

風魔は、そのアンサンブルが非常にうまくいった例である。
しかしただ個性的な若者を集めただけではない。
オーディションに落ちた役者に、もっと面白いやつや個性的で人間的魅力に溢れたやつも、
沢山いた筈である。
「物語に必要な」キャラクターを選んだだけである。
その物語とは、個性的な人物設定になっていなければならない。
物語が先で、役者はあとだ。(しかも役者は、演じるタイプを変える能力がある)
だから、オーディションで面白いやつを落とすのは、気が引ける。
物語に必要ない、という理由にするしかない。
ご縁がなかった、と思い、いつも断腸の思いだ。


話がそれた。
性格設定に逆をつくると、
キャラクターが立体的になる。
そのアンサンブルでも立体的にする。
それが、一座を組むコツである。
posted by おおおかとしひこ at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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