人物設定のコツ。
目的と障害という時間軸を持つ設定以外に、
時間軸に左右されない設定をつくる。
(いわゆる設定はこれを差すが、
これのみでは浅い物語しか書けないことは既に議論した)
その中でも、キャラクターを示しやすいのは、
性格である。
性格の中に、逆の要素を必ずいれておく。
性格は、逆をつくる。
「残酷で冷徹」ではなく、
「残酷で冷徹だが、自分の好きなものにはやさしい」
「優しくて強い」ではなく、
「優しくて強いが、キレると怖い」
などが定番だろう。
「残酷で冷徹だが、自分の好きなものは溺愛する」
マフィアが自分の猫や娘を溺愛、
などはよく見るキャラクターだ。
人間は一面的な性格ではない。
多面的である。
試しに「自分の性格」をキャラクター設定のように書いてみたまえ。
一面的でなく、AでありながらBという面も見せる、
ときにCでもある、
などのように、多面的である筈だ。
このとき、アンサンブルで議論したように、
主旋律と逆をつくり、対比的にすると、
キャラが立ってくるのである。
万能だがネズミには弱い(ドラえもん)、
ぐうたらでダメ男だが、優しくてやるときはやる(のび太)
など、弱点と長所として語られるものもある。
キャラクター設定がよく分からなくなったら、
具体的な映画の、人物設定を書いてみるとよい。
それらを何本もの映画でつくり、
列挙するとよい。
キャラクターの立っている人物ほど、
逆をうまく使っている筈である。
そして次に気づくことは、
キャラクター設定は話そのものではないということだ。
事件や解決や挫折や復活、目的や行動といった、
時間軸を持つプロットと、
性格設定は、実は無関係である。
そのような行動を生き生きさせる為の、
生きた人物にする為の、
おはなしを魅力的に見せる為の、
性格設定は、小道具に過ぎない。
「桃太郎」CMの批判ポイントは、まさにここである。
表面的な設定の羅列は、物語にはならない。
しかも逆をつくったりするなどの、
立体的工夫すら見られない、幼稚な設定である。
プロットに対する小道具、として性格設定は見るべきである。
だからといって疎かにすべき所ではない。
その人間の実在性に直接関わるからだ。
そんなやついないよ、と思われたら終わりだ。
こんなやつ、本当にいる気がする(リアルだ)、
と思われる設定が書けるのは、
人生経験や、人間とはどういう生き物か、が深いほど可能だ。
大抵、主人公および重要人物に、
この深い性格設定が使われるだろう。
注意すべきは、映画とは、複数の人物のアンサンブルで物事がすすむ、
ということである。
アンサンブルの中でも対比的や、対照的や似た性格などをつくっていく。
風魔は、そのアンサンブルが非常にうまくいった例である。
しかしただ個性的な若者を集めただけではない。
オーディションに落ちた役者に、もっと面白いやつや個性的で人間的魅力に溢れたやつも、
沢山いた筈である。
「物語に必要な」キャラクターを選んだだけである。
その物語とは、個性的な人物設定になっていなければならない。
物語が先で、役者はあとだ。(しかも役者は、演じるタイプを変える能力がある)
だから、オーディションで面白いやつを落とすのは、気が引ける。
物語に必要ない、という理由にするしかない。
ご縁がなかった、と思い、いつも断腸の思いだ。
話がそれた。
性格設定に逆をつくると、
キャラクターが立体的になる。
そのアンサンブルでも立体的にする。
それが、一座を組むコツである。
2014年03月22日
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