この人ほんとに○○なんですよ、
と他人に説明してみるとよい。
この人ほんとに面白い、
この人ほんとにやるときはやる、
この人ほんとに真面目、
この人ほんとに怖い、
この人ほんとに可愛い、
この人ほんとに女っぽい、
この人ほんとに男らしい、
この人ほんとにバカ、
などなど、その人の性格を、
誰かに話してみよう。
例えば、この人ほんとに面白い、と説明してみる。
顔が面白い、言うことが笑える、バカなことをやる、
天然、などの抽象的な性質をただ並べ立てても、
ちっとも説明にならない。
わかった気にならない。
そこで、具体的なエピソードを創作するとよい。
例えば「いけちゃんとぼく」の子役、きょうちゃんは、
やや頭の弱い子、という役柄だが、
本人は天才的に面白い子だ。
彼は左利きなのだが、右利きに矯正している。
ある日うどんを食べにいったとき、
あまりにもお腹がすいていたので、
右手で箸をもちながら、左手で直接うどんを食べたらしい。
具体的なエピソードは、知り合いのこのような具体的なエピソードを借りたり、
これを元に創作したりするとリアリティーが増す。
(昔は、作家が親族に出ると、その一族のことは全て世間に知られる、
と言われた。それぐらい、作家というものは、具体的なエピソードを借りるのだ)
具体的なエピソードは、リアルでなく創作しても、
勿論よい。
どちらにせよ、
抽象的な性質を示す言葉を並べるより、
それを示す具体的なエピソードのほうが、遥かに強い。
それを設定資料だけでなく、本編に使うことも、勿論ある。
例えば「誰からも好かれる」と設定するなら、
その具体を示す必要があるからだ。
つまり、性格設定のエピソードは、
強力であればあるほど、本編に流用出来る。
あるいは、先にエピソードを創作し、
そこから性格設定を決める、逆のやり方も有効だ。
エピソードが先にあれば、
性格をあとづけするほうが簡単だ。
例えば5人の性格づけを考えているときなど、
エピソードを先につくって、性格アンサンブルをつくっていくとよいだろう。
性格設定から物語を創作することは、
僕は出来ないと思っている。
事件が起こったとき、
どのように反応するかは、
一般的な反応が必ずあるからだ。
その順目に、色づけするのがキャラクター性だと思う。
キャラクターが先にあるのではなく、
事件が先にある。
逆に、キャラを立ててから事件を起こすやり方もある。
しかしそのときは、面白いのは個々のキャラであり、
事件そのものではないことが多い。
キャラが同じで事件が次々に変わる、
シリーズものならこれがあり得る。
漫画やドラマなど、連載形式で長持ちさせなければならないシリーズは、
キャラを立てることは重要だ。
事件そのものがキャラが立っている系のシリーズ、
たとえば「ウルトラQ」「Xファイル」などでは、
人物の立ちはわざと押さえられている。
キャラ立ちは、変化しない性格を前提とするから、
「変化する物語」としての映画とは、
実は相性が悪いことに気づくとよい。
キャラが立っていることは、変化を拒むのだ。
しかし、キャラが変わるほどの変化こそが、
我々に影響する力を持った物語の規模である。
性格設定に溺れてはならない。
大事なのはプロットだ。
しかしキャラクターを疎かにしてはならない。
感情移入は、キャラクターに起こる。
このキャラは、○○で…と誰かに必死でそのキャラの良さを説明しようとしている人がいる。
本当にその人物を好きになっている証拠だ。
しかし、物語とはプロットである。
人物は、その道具である。
それが生き生きとするためには、
この人ほんとに○○なんですよ、
と誰かに言いたくならぐらいの、エピソードを創作しよう。
2014年03月22日
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