2014年03月23日

見た目と中身を分離できるか

初心者や若い人にありがちなことは、
見た目と中身を分離する能力が貧弱なことである。

どんな映画が好きか、と言われて、
ジャンルで答える人は、その傾向が強い。


現代を舞台にしたオシャレなラブロマンス、
中世もの、メカ系のSF、時代劇、
アクションもの、
カワイイ子が出てるもの(特定の役者が出ていれば何でも)、
チェコ映画、
などを好きと言う人は、
間違いなく映画のビジュアルしか見ていない。

映画はビジュアルの芸術でもあるが、ビジュアルだけの芸術ではない。
物語芸術やその他のものとの融合である。
第七芸術、という分類すら昔の映画論にはあった。

ビジュアルは、映画にとっては所詮表面の飾りであり、
本体ではない。
人は飾りから入るから、
その飾りがよろしくないことは、本体にとってもよろしくない。
だから飾りは軽視出来ない。

問題は、羊頭狗肉の故事で示されるように、
看板だけ金をかけて、中身がなにもない映画である。

ペプシの桃太郎は、
ビジュアル10中身0の作品である。
(中身が0なのが、商品の0カロリーに落ちている可能性はある)
ガッチャマンは、ビジュアル10を目指して2中身0のうんこである。
手前味噌だが、風魔はビジュアル2ぐらいの中身10である。

実は、ビジュアルや飾りつけは、ある程度予算に比例する。

本来、素晴らしい中身に、パーフェクトな飾りをつけるものが、
最高の理想の筈だ。
ところがそうはいかないのが現実だ。

ビジュアルのほうが消費スピードとつくるスピードが、
物語そのものより、圧倒的に速いのである。
逆にいえば、中身をつくるには、時間がかかる。

提供する側からすれば、
ビジュアルは沢山量産されているのに、
物語の開発に時間がかかり、物語は不足しているのだ。

当然、ビジュアルだけで中身のないものが、
最も生産コスト的に合理的だ。
中身のないものを、客がノーと言わない限り。



初心者が脚本を書くと、
必ずビジュアルの連鎖を持ってくる。
大抵、それらの繋がりに必然性がなく、
その必然の辻褄合わせが脚本であると誤解している。
優秀な脚本家とは、凄いビジュアルと辻褄合わせの達人である、
と誤解している節すらある。

ビジュアルは中身ではない。
飾りである。
映画のビジュアルは、物語を絵に変換したイコンであり、
単なるビジュアルではなく、意味を持つビジュアルである。

ビジュアルは飾りである。
だから、脚本にはビジュアルは書かない。
「どのようなビジュアルであっても面白い物語を書く」
のが脚本である。

だから脚本は、文字だけなのだ。
脚本には、ビジュアルに左右されない、意味だけを書くのだ。


「絶世の美女に惚れる」のは、映画脚本ではアウトだ。
その女が魅力的であることを、ビジュアル以外で書かねばならない。
美女であるのは、飾りでしかない。
美女が男の主人公に惚れるのには、理由がなくてはならない。
活躍や彼女との関係の中で、つまり、ストーリーで、
彼女を惚れさせなければならない。

現実には見た目だけで惚れる例があるではないか、
と思うのは、恋愛初心者だ。
見た目だけでつき合うから、幸せを知らないのだ。
ビジュアルなんて、所詮見栄でしかないのに気づくまで、
人によっては40年ぐらいかかるかも知れない。


自分が好きでないビジュアルのものを、
自分の好きなビジュアルに変換してしまえば、
好きでないジャンルの物語でも、
おそらく書くことができる。

自分の好きなジャンルを書くのは危険だ。
好きという思いが、客観性を失わせるからだ。
好きではないジャンルにこそ、
中身だけが輝く魅力的な物語の可能性が眠っていると思う。


ビジュアルに目眩ましされずに、
中身だけを見る訓練をしてみよう。
盲人の世界を想像しながら生きてみるのもよい。
小説やラジオドラマは、そんな世界だろう。
ビジュアルだけで嫌いなものを、食わず嫌いしないで見てみるのもよい。
愛されているには、ビジュアル以外の理由がある。
その理由に気づければ、
ビジュアルと中身の分離が出来るようになるかも知れない。
(人間とは厄介なもので、一度好きになってしまうと、
以前はそうでもないと思っていたビジュアルが、
魅力的なビジュアルに見えてしまうように出来ている。
恋の力である)

風魔は、安い予算だった。
聞いたこともない役者(顔だけはイケメンだけど)、
微妙なCG、規模の小さいロケ(第一話の観客よ…)、
ビジュアル面では不利も不利だ。
しかし中身の良さが、そのビジュアルを覆した、稀有な作品だ。
見終わってしまえばみんなを好きになる、
という結果が、全てを示している。
オイオイみんなビジュアルは微妙だった筈じゃないか。
それを好きだってことは、それは恋しちまった、ってことさ。
ビジュアルじゃなく、中身で。



どんな映画が好きか、を中身で考えることは、
やさしさの物語、
成長する物語、
驚きがある物語、
ステップアップしていく面白さ、
酷い物語、バッドエンド、
だましだまされる物語、
などが、好きだ、ということだ。
そこにジャンルはない。

ラブロマンスが好きだと言う人は、
主人公が努力の末イケメンをゲットするのが好きな人と、
とくに理由もないのにモテモテになる話が好きな人にわかれる。
後者は、人生の初心者だと思う。
まあ、そういう人達を騙して金儲けする映画は、
初心者が騙される限り(つまり永遠に)なくなることはないだろうけど。
posted by おおおかとしひこ at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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