初心者や若い人にありがちなことは、
見た目と中身を分離する能力が貧弱なことである。
どんな映画が好きか、と言われて、
ジャンルで答える人は、その傾向が強い。
現代を舞台にしたオシャレなラブロマンス、
中世もの、メカ系のSF、時代劇、
アクションもの、
カワイイ子が出てるもの(特定の役者が出ていれば何でも)、
チェコ映画、
などを好きと言う人は、
間違いなく映画のビジュアルしか見ていない。
映画はビジュアルの芸術でもあるが、ビジュアルだけの芸術ではない。
物語芸術やその他のものとの融合である。
第七芸術、という分類すら昔の映画論にはあった。
ビジュアルは、映画にとっては所詮表面の飾りであり、
本体ではない。
人は飾りから入るから、
その飾りがよろしくないことは、本体にとってもよろしくない。
だから飾りは軽視出来ない。
問題は、羊頭狗肉の故事で示されるように、
看板だけ金をかけて、中身がなにもない映画である。
ペプシの桃太郎は、
ビジュアル10中身0の作品である。
(中身が0なのが、商品の0カロリーに落ちている可能性はある)
ガッチャマンは、ビジュアル10を目指して2中身0のうんこである。
手前味噌だが、風魔はビジュアル2ぐらいの中身10である。
実は、ビジュアルや飾りつけは、ある程度予算に比例する。
本来、素晴らしい中身に、パーフェクトな飾りをつけるものが、
最高の理想の筈だ。
ところがそうはいかないのが現実だ。
ビジュアルのほうが消費スピードとつくるスピードが、
物語そのものより、圧倒的に速いのである。
逆にいえば、中身をつくるには、時間がかかる。
提供する側からすれば、
ビジュアルは沢山量産されているのに、
物語の開発に時間がかかり、物語は不足しているのだ。
当然、ビジュアルだけで中身のないものが、
最も生産コスト的に合理的だ。
中身のないものを、客がノーと言わない限り。
初心者が脚本を書くと、
必ずビジュアルの連鎖を持ってくる。
大抵、それらの繋がりに必然性がなく、
その必然の辻褄合わせが脚本であると誤解している。
優秀な脚本家とは、凄いビジュアルと辻褄合わせの達人である、
と誤解している節すらある。
ビジュアルは中身ではない。
飾りである。
映画のビジュアルは、物語を絵に変換したイコンであり、
単なるビジュアルではなく、意味を持つビジュアルである。
ビジュアルは飾りである。
だから、脚本にはビジュアルは書かない。
「どのようなビジュアルであっても面白い物語を書く」
のが脚本である。
だから脚本は、文字だけなのだ。
脚本には、ビジュアルに左右されない、意味だけを書くのだ。
「絶世の美女に惚れる」のは、映画脚本ではアウトだ。
その女が魅力的であることを、ビジュアル以外で書かねばならない。
美女であるのは、飾りでしかない。
美女が男の主人公に惚れるのには、理由がなくてはならない。
活躍や彼女との関係の中で、つまり、ストーリーで、
彼女を惚れさせなければならない。
現実には見た目だけで惚れる例があるではないか、
と思うのは、恋愛初心者だ。
見た目だけでつき合うから、幸せを知らないのだ。
ビジュアルなんて、所詮見栄でしかないのに気づくまで、
人によっては40年ぐらいかかるかも知れない。
自分が好きでないビジュアルのものを、
自分の好きなビジュアルに変換してしまえば、
好きでないジャンルの物語でも、
おそらく書くことができる。
自分の好きなジャンルを書くのは危険だ。
好きという思いが、客観性を失わせるからだ。
好きではないジャンルにこそ、
中身だけが輝く魅力的な物語の可能性が眠っていると思う。
ビジュアルに目眩ましされずに、
中身だけを見る訓練をしてみよう。
盲人の世界を想像しながら生きてみるのもよい。
小説やラジオドラマは、そんな世界だろう。
ビジュアルだけで嫌いなものを、食わず嫌いしないで見てみるのもよい。
愛されているには、ビジュアル以外の理由がある。
その理由に気づければ、
ビジュアルと中身の分離が出来るようになるかも知れない。
(人間とは厄介なもので、一度好きになってしまうと、
以前はそうでもないと思っていたビジュアルが、
魅力的なビジュアルに見えてしまうように出来ている。
恋の力である)
風魔は、安い予算だった。
聞いたこともない役者(顔だけはイケメンだけど)、
微妙なCG、規模の小さいロケ(第一話の観客よ…)、
ビジュアル面では不利も不利だ。
しかし中身の良さが、そのビジュアルを覆した、稀有な作品だ。
見終わってしまえばみんなを好きになる、
という結果が、全てを示している。
オイオイみんなビジュアルは微妙だった筈じゃないか。
それを好きだってことは、それは恋しちまった、ってことさ。
ビジュアルじゃなく、中身で。
どんな映画が好きか、を中身で考えることは、
やさしさの物語、
成長する物語、
驚きがある物語、
ステップアップしていく面白さ、
酷い物語、バッドエンド、
だましだまされる物語、
などが、好きだ、ということだ。
そこにジャンルはない。
ラブロマンスが好きだと言う人は、
主人公が努力の末イケメンをゲットするのが好きな人と、
とくに理由もないのにモテモテになる話が好きな人にわかれる。
後者は、人生の初心者だと思う。
まあ、そういう人達を騙して金儲けする映画は、
初心者が騙される限り(つまり永遠に)なくなることはないだろうけど。
2014年03月23日
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