映画のタイトルが非常に大事であることは、
論を待たない。
しかし、いいタイトルとは何かについて、
一般的な傾向は言えても、こうすれば正解、はないと思う。
いい物語とは何か、と同じぐらい難しい問題だ。
いいタイトルとは、
・キャッチーであること(引きがあること)、
・作品の本質を示していること(ネタバレし過ぎずに)、
のふたつが最低必要だ。
一言で言えば、タイトルとしてのキャラが立っていればよい。
タイトルがキャラが立っている、ということは、
既に内容がキャラが立っている、ということに他ならない。
タイトルと内容は不可分だ。
内容が、独特で他に似たものがなく、新しく、記憶に残る独立性の高い、
しかも親しみやすい、くっきりとした輪郭のあるものであれば、
タイトルはあとからついてくるのだ。
とはいえ、
内容を創作中にタイトルを考えることは意味のあることだ。
現在の内容よりもさらに大きな枠をタイトルで先につくってしまい、
内容をそれに追いつかせる、などの技もある。
人間にも名前負けがあるように、タイトル倒れ、ということもままある。
「いつかギラギラする日」「欲望という名の電車」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
「セックスと嘘とビデオテープ」などは、内容よりもタイトルがいい。
(読んでないけど、多分「限りなく透明に近いブルー」も)
逆に内容はよいのに、タイトルで損をしている例も多々ある。
「情婦」「君が僕を見つけた日」「愛が微笑むとき」などだ。
これらは傑作の類いなのだが、
タイトルだけでなんとなくパチもんを想像してしまい、
レンタル初見は勇気がいる。
僕のオススメということで、見てみるとよい。
僕なりにタイトルをつけなおすとすれば、
それぞれ「反対側の証人」「タイムトラベラーと、その妻」「4人のやさしいゴースト」か。
引きが多少出てきて、なおかつ本質を示していると思う。
邦題タイトルがひどいのは、映画への冒涜だと思う。
映画会社の宣伝マンにコピーライティングの才能がないのだろう。
最近の予告編の酷さもそれを示している。
(いけちゃんの予告編の酷さについては、またどこかで述べる)
映画のタイトルは商品名である。
この名前で永遠に記憶され、しかも変えることは出来ない。
名は体を表し、しかも興味をそそられるもので、
中身の品質のよさが保証されそうなものであるべきだ。
(余談だが、かつてオリジナル脚本を書いていたとき、
タイトルを「時をとぶ花」にしようとしていた。
プロデューサーは、単館系に見えるからもっとA級を
想像させるタイトルにすべきだと主張した。
議論の結果、「千年の花」に落ち着いた。
だがこれではまだもの足りず、「千年の花を」という
動きをつけたタイトルに改題した)
よくあるタイトルのパターンを知るのは、
参考になるだろう。
名詞ひとつ、主人公の名の場合も:
主人公の名前ひとつ(「ロッキー」など)は、
よほど主人公が魅力的で、キャラが立っていて、主人公が物語内できちんと生きて、
テーマが主人公に帰着する話である必要がある。
名詞ひとつ(「道」「波止場」「情婦」「カサブランカ」など昔の映画に多い)は、
よほどその名詞のキャラが立っていないとダメだろう。
よい例は「ライムライト」だ。
言葉としても新鮮で、しかも作品の本質である。
その名詞がズバリテーマであり、
なおかつ世間へのキャラの立ち方がなっている、なんて例はほとんどない。
英語タイトルをそのままカタカナにした「アルマゲドン」なども入る。
「マトリックス」も最初その意味が全く分りかねるが、
謎めきと噂がヒキになっているパターンだ。
が、タイトルだけでは引きが弱い。
これの変形で、「○○の名詞(主人公)」がある。
「風の谷のナウシカ」などのジブリ作品、
「天井桟敷の人々」「ポンヌフの恋人」、
また、「の」に限らず、修飾語句としてかかるものなら、
「第9地区」「トップ・ガン」「大喝采」
などもある。
おそらくだが、最もポピュラーで、名作もあるパターンではないか。
テーマを暗示しながらも、
修飾をつけてヒキが表現できるからだ。
そもそもヒキとは、我々がそのタイトルを見たときにする、
「期待」のことだ。
そのタイトルから何を想像するかは、
一般的な想像力がどの程度のものか、
想像力のある人の想像力がどの程度のものか、
それらを体感でわかっていないとわからない。
想像の幅が広がり、内容への期待が膨らみ、
なおかつ一級品であることを期待させなければならない。
逆に全く想像力が広がらないタイトルをつける(「es」など)のは、
映画に一般性がないことの宣言でもある。
狭いピンポイントで深い作品、知る人ぞ知る佳作ならありえる(「ガタカ」など)が、
それならいっそ一般的なタイトルをつけても構わないのではないか。
(「月に囚われた男」は、同じようなジャンルだが、
タイトルのヒキだけなら圧倒的に上だ。
にも関わらず「ガタカ」より作品のレベルは下であるが)
最近のカタカナタイトルの氾濫は、
内容が一般的にも関わらず、一般性を忌避するような結果になっている。
「エクスペンダブルズ」がよい例だ。
「アクション大作戦」「ザ・ヒーローチーム」ぐらい
頭の悪いタイトルでも構わないのではないか。
「AとB」のパターン:
対比的なものを示し、作品内のアンサンブルを示す。
主体だけでヒキがない場合、
対比的な世界観で運動を予感させるタイトルはありだ。
「ハンナとその姉妹」の例のように、
主役オンリーでないドラマを想像させるのもよい。
(「マジンガーZ対デビルマン」はタイトルの中では、かなり秀逸なもののひとつだ。
名前負けであるが)
劇中のセリフ的なパターン:
「翼よ!あれがパリの灯だ」などなど。
普段のタイトルでない異質な感じで目立つのだが、
本当にそれが本質に直結しているかは、微妙なところである。
目立ち、ヒキをつくり、なおかつ本質的であるというのは難しい。
どちらかといえば目立ちが重視だからだ。
凝ったタイトル:
初見では覚えきれないもの。ラノベのタイトルは、ほとんどこれだ。
逆に、尖っていて、カッコつけたくて凄そうなタイトルをつけたものは、
大抵覚えられない。
(「!(アイ・オー)」なんてタイトル、今覚えてる人はいるだろうか。
「ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ」よりシンプルなだけましか。
ゲームになるが「パンツァー・ドラグーン」はずっと覚えられなかった。
ゲーム「グランド・セフト・オート」はこれであってたっけ、と思う)
これは、それが分る人だけ観客を選別する、排他的方法論である。
商売としては小さな規模だ。
IQを下げて媚びろと言っている訳ではなく、
記憶される言葉にするべきだ、と言っている。
「○○ 〜△△〜」の並列表記型:
○○がメジャーで引きの強いもの、〜や/で区切られた、あとに来るものが本質的な内容。
ヒキと本質を併記するもの。
シリーズものに多い。
ファンを呼べるが、初見はキツイだろう。
理想は、△△の部分だけでタイトルになるだけの正統派であることだ。
タイトルは、何を期待してほしいかだ。
そして内容でそれに答えることだ。
さらに、その内容の本質を表したタイトルで、
観賞後永遠に記憶されるものだ。
タイトルだけが重要なのではない。
本質は内容だ。本質がよければタイトルはあとからついてくる。
若い時はタイトルだけを必死で考える時期もある。
1000個考えたらストックは十分だ。生涯1000本書くことはないだろう。
内容を考える段階にうつるべきである。
2014年04月02日
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