2014年04月03日

興味、共感、焦点、感情移入、好きという感情

映画の進行中、我々は色々な感情を抱く。
その思いの中で、混同されがちな5つの感情がある。

興味、共感、焦点、感情移入、好き、
の5つの感情だ。
これらは全て違うものであり、隣り合っている。
意図的にこれを区別し、混同しないことは、
書き手として弁えるべきことだ。


興味は、なんだか面白いことをやってそうだぞ、
という導入の感情だ。

あることについて、好きでも嫌いでもいいし
(目を背けたいことなのだが興味があることだってある)、
感情移入を伴っていなくてもよいし、
物語の焦点以外に興味を引かれることもある。
(ディテール、つまり美術の造形や衣装や音楽やロケーションや俳優などに)
共感しないが興味を持つこともある。
知らない世界になんとなく興味を持つことだってある。
OLちゃんがスパイや怪獣に共感しなくても興味を持つことはある。
おっさんが女同士の確執に興味を持つこともある。


共感とは、自分の中の経験と照らし合わせたり、
経験がなかったとしても、人物の置かれた状況や行動に、
そうするのは「分かる」と思う感情だ。

好き嫌いとは関係なくおこる。(そして分かると、嫌いになれなくなる)
感情移入してなくてもおこる。(そして分かると、感情移入の糸口になる)
焦点があっていてもあっていなくてもおこる。(そして分かると、背景から少し浮く)
興味がなくてもおこる。(そして分かると、興味が持続される)


焦点とは、物語の進行上、
登場人物がしなければいけないことだ。
具体的目的のこともあるし、
「帝国軍にダメージを与えるには、デススターが焦点である」と、
目下の関心ごととして大まかに焦点を示すこともある。

好き嫌いと関係なく焦点はある。嫌いな方向に話が進むこともある。
好きなものに焦点を当てれば喜ばれるが、それは目先だけのことで、
大きな物語のうねりとは関係はない。
(カップルが一度疎遠になるなどの展開は、山と谷で必ず必要だ)

感情移入と焦点は関係がない。
しかし感情移入すればするほど、焦点を追うことに必死に、夢中になる。
物語がはじまった当初の焦点には、普通感情移入がうすい。
しかし感情移入が次第に出来てくると、焦点に入り込むようになる。
共感と焦点も関係はない。
分かるわー、ということが焦点になれば、関心の維持は簡単だ。

興味を引かなくても焦点はある。
しかし、興味が焦点にあることは、感情移入や夢中になることの必須条件だ。
最も大きな焦点、すなわちセンタークエスチョンに興味が持てない物語は、
やはり他人事である。
センタークエスチョンが提示される第一ターニングポイント、
つまり25〜30分までに、我々は焦点に興味をもたれなくてはならない。



感情移入とは、
主人公の気持ちと自分の気持ちが一致し、
感情を分かち合うことだ。

興味があってもなくても、感情移入させるべきだ。
共感してもしなくても、感情移入させるべきだ。
焦点があってもなくても、感情移入させるべきだ。
好きでも嫌いでも、感情移入させるべきだ。

感情移入の理想は、
興味を引き、共感させ、焦点を保つことである。
このみっつが一致しないと、
感情移入はスムーズに生まれない。
我々が第一ターニングポイント、25〜30分までにすべきことは、
主人公の焦点に、興味と共感を得ることだ。
好きと嫌いは、感情移入と関係ないことについては既に書いた。
好きな人にしか感情移入出来ない訳ではない。
好きという感情は、感情移入の結果もたらされる、
結果的感情だ。
これは一種の魔法で、この魔法がかかれば、何をしてもOKになる。
我々は二時間かけて、永遠に持続する好きという感情を手に入れる。


好きという感情は、すべてのパーツに起こりえる。

嫌いなものも急に好きになる。
興味があれば好きになるのは早いが、ないものを好きになることもある。
焦点があっているものを好きになったり、あっていないものを好きになり、焦点があうこともある。
感情移入は好きと不可分だが、感情移入しないのに急に好きになることもある。

好きに法則性はない。だから面白い。
好きという前提なら、
興味、共感、焦点、感情移入は、全てのものがパワーアップされる。
大好きな映画は、二回目三回目の観賞のほうが、
より興味、共感、焦点、感情移入が強くなる。

好きは、人に主に起こる感情だ。
主人公や脇役が好きになったら、
殆どの人は、役の上のことと、俳優を同一視する。
ファン心理である。
あの役者が好きだから、あの役もよかった、となる。
(男の観客より、女の観客に、よりこの傾向が強い)
ひどいことになると、あの人が出ていれば何でもよい、になる。
(本当は名作に出てほしいけど、私達が支えてあげなくちゃ、
という、応援、親衛隊の感情になりがちである)
その心理を利用した、悪人がつくる駄作があとを立たないことは既に議論した。



興味、共感、焦点、感情移入、好き、
という感情を、混同してはならない。

少年ジャンプのアンケート方式は、
好きや興味や共感ばかりを作品に反映させる、
ある意味売れるための合理的な方法だが、
作劇の本質を歪める方法でもある。

好きでもない、関心もない、興味もないものに、
本当の感情移入と好きを発生させるのが、
本来の作劇だ。

その実力のない人間が、ジャンプ方式で下駄をはく。
下駄をはいている自覚があればそのコントロールが出来るが、
最初からその実力のない者は、その下駄に溺れて死んで行く。


これらの似たような、しかし違う、隣り合った感情を、
時には意図的に混同しながら、
使い分けていこう。
目標は、前半戦、ミッドポイントまでに、
この全ての感情が渾然一体のひとつの感情になっていることだ。
好きという感情は増幅する。
後半戦、どんどん主人公(たち)が好きになってゆく、のが理想である。

(風魔に限れば、聖剣登場のミッドポイント前までに、
小次郎への好きという感情は既に生まれているだろう。
3話ぐらいまでの暴れん坊で、少なくとも興味は持たれている。
笑いによって共感のハードルを下げるのも、テクニックである。
項羽と小龍、霧風、劉鵬とのやり取りを経て、
小次郎とその周りが、みんな好きになっているだろう。
竜魔が倒れたあと、風林火山や姫子とのことや麗羅とのことで、
小次郎への好きという感情は、どんどん大きくなってゆく。
ついでながら、村井良大という役者が、みんな好きになり、
舞台版にいき、その後の出演作もチェックする)


その感情をコントロールするのが、
我々書き手の仕事である。
物語は、そのように語られる。
posted by おおおかとしひこ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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