長期間企画をやったり、長い間構想していると、
色々なアイデアが湧くものである。
新しい魅力的なアイデアを思いついたとする。
人は新しいアイデアの方に興味がいく。
(末っ子のほうが可愛い心理)
しかしこれを作品に加えると、
せっかく本質的にシンプルな骨格を持っていたものが、
ややこしく、複雑になることがある。
改稿とは、実はその連続だ。
新しい魅力的なアイデアを採用するか切るかは、
その作品の本質が何かによって決めるべきだ。
だから僕は、執筆中、企画の途中、
コンセプトやログラインを、
リファインしたり、アップデートすることをすすめている。
なんなら、それは制作中の記録として、
軌跡を見れるようにしておくといい。
最初このように企画の本質を考えていたのだが、
次に○○を足したり、○○を切ったりしてきて、
今このような本質であるべきだ、と考えている、
というようなものが。
アイデアは可塑性がある。(可塑性があるのがアイデアのいいところ)
だから、何度もコンセプトや本質を練り、
いい企画性になるまで書き直すことはよいことだ。
その完成の条件は、
企画性がキャラが立つこと、だと思う。
即ち、
他に似ているものがなく、
今望まれる、
新しい形で、
なおかつ分かりやすく、
エッジも立っている、
新しいスタンダード(中心、メジャー)になりえるものである。
(これを考えるのは、自分に厳しくないと無理だ。
そのストイックさを嫌えば、新しくつくるより、
他から買ってくるほうが楽だと思ってしまう。
これについては既に議論した)
それは、シンプルでかつ奥深くなければならない。
家電を例に考えるとよい。
革命的によい家電は、
新しいシンプルさを兼ね備えている。
それが改良を経ることで、
余計な機能がついてくる。
機能が増えれば増えるほど、これ一体何だっけ、
ということになる。
エアコンをスマホからコントロールする機能は、
いらないと思う。
「室外機との連動で、断熱圧縮効果によって、
部屋を冷やす、または暖める」というシンプルなコンセプトがエアコンだ。
部屋中に温度湿度センサーがつき、その絵を見ながらコントロールする機能がつく、
次のシンプルが出来るまで、
それらのややこしい機能は、本質を曇らせる、
「余計な」ものであり続ける。
今思いついたナイスアイデアは、
余計な機能のようなものだろうか、
それとも企画性の根幹を揺るがし、
本質を別物にする、しかも良くなるアイデアだろうか。
判断できないなら、
コンセプトやログラインに書き下して見るとよい。
そして、いい方を選ぶとよい。
折角生まれた末っ子を殺すのは、勇気がいる。
勇気ではなく、本質的かどうかを判断基準とすればよい。
(そのアイデアが惜しいなら、常にアイデアノートに保存しておく。
それが何故よいのか、を自分なりに分析する。
分析が正しければ、同じシチュエーションでそのアイデアは別の文脈で使えるだろう)
あなたの書く作品は、
改良しまくって訳がわからなくなった家電のようになっていないか。
単なるファン向けであれば、
迷路であればあるほど喜ばれる可能性があるが、
オープンに全ての人に向けるべき作品は、
きちんとコンセプトのキャラが立っている必要がある。
シンプルが望ましい。しかし単純で詰まらないのではなく、
シンプル故に奥が深い形が、最低限必要なことだ。
本流はなにか。傍流はなにか。
よく出来た企画は、傍流なしで、本流のみで勝負してくる。
2014年04月04日
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