登場シーンは、代表的な点の面白さである。
スローモーションで現れる、
何か(桜吹雪、風、爆炎、蜃気楼、稲光、飛び立つ鳩の群れ)の中から現れる、
笛の音を聞いて(手裏剣が壁に刺さって)振り向くと崖の上、
転校生がやって来て恋する瞬間、
扉を開いて(人の群れが道を開けて)、
見得を切って(待ってました!)、
登場する瞬間は、堪らない瞬間だ。
静止画ではなく、アクションを伴ってはいるのだが、
意味としては静止画的だ。
登場した瞬間の気持ちの高ぶりだからだ。
つまりこれは、点の面白さである。
登場の瞬間画面が止まり、かっこよく名前が字幕で入る演出が多いのも、
これが静止画的面白さであることを示している。
ドラマのオープニングでよくあるこのパターンは、
メイン出演者全員分を出す。
静止画の楽しみのひとつは、コレクション的に並べることだ。
つまり、全員勢揃いで登場するシーンは、
点の面白さのピーク的な面白さである。
(風魔のOPでの八将軍の八分割カットが、存外に人気があったのは、
勢揃い登場だからである)
「七人の侍」の中盤のお楽しみは、
仲間の侍が増えていくところだ。
つまりこれは、登場シーンの連続なのだ。
登場シーンの何がこんなに我々を引き付けるのだろう。
恐らく期待感だと思う。
新しい何者かが、新しく何かをやってくれる感じ。
先入観を壊してくれそうな感じ。
つまり線を期待する点である。
CMディレクターは、この登場ネタが上手い。
何故なら、殆どのCMは、新製品登場を描いているからだ。
同時に、CMとは新登場でおしまいだ。
いわば出落ちである。
CMのシリーズ化がなかなか上手くいかないのは、
出落ち以上の次がつくれないからだ。
(だから大抵新キャラ登場になってしまい、出落ちを続ける)
ペプシ桃太郎もこの例に漏れず、登場シーンの連続に過ぎない。
ワンピースは、これを実にうまく長く引き伸ばしている。
新キャラのエピソードこみで一篇をつくり、
それが仲間となって増え続けるのを、
最初から10巻以上続けている。
七人の侍方式をうまく引き伸ばしているのだ。
アクションシーンも、点の面白さだ。
連続するアクションは、流れはあるものの、
点の連続する面白さである。
勝ち負けが決まってからどうなるかが、線の面白さだ。
勝ち負けが決まるプロセスがアクションで描かれるなら、
実は点の面白さでしかない。
線は理屈の面白さでもあった。
アクションに理屈はいらない。理屈ぬきの面白さがアクションだ。
だからアクションは、点の面白さである。
だからアクションシーンばかりだと、
急に面白くなくなっていく。
飽きてくるからだ。
特に最近のCG満載の映画にありがちだ。
昔のアクションは金がかかるからピンポイントしかなかったが、
豊富にできるようになったら、
飽和が簡単に起こってしまった。
アクションシーンの最中は、ストーリーの進行が止まっていることに、
脚本家的には注意されたい。
(勿論これらの面白さは映画の醍醐味のひとつではある)
2014年04月09日
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