2014年04月09日

点の面白さの例

登場シーンは、代表的な点の面白さである。
スローモーションで現れる、
何か(桜吹雪、風、爆炎、蜃気楼、稲光、飛び立つ鳩の群れ)の中から現れる、
笛の音を聞いて(手裏剣が壁に刺さって)振り向くと崖の上、
転校生がやって来て恋する瞬間、
扉を開いて(人の群れが道を開けて)、
見得を切って(待ってました!)、
登場する瞬間は、堪らない瞬間だ。


静止画ではなく、アクションを伴ってはいるのだが、
意味としては静止画的だ。
登場した瞬間の気持ちの高ぶりだからだ。
つまりこれは、点の面白さである。
登場の瞬間画面が止まり、かっこよく名前が字幕で入る演出が多いのも、
これが静止画的面白さであることを示している。
ドラマのオープニングでよくあるこのパターンは、
メイン出演者全員分を出す。

静止画の楽しみのひとつは、コレクション的に並べることだ。
つまり、全員勢揃いで登場するシーンは、
点の面白さのピーク的な面白さである。
(風魔のOPでの八将軍の八分割カットが、存外に人気があったのは、
勢揃い登場だからである)

「七人の侍」の中盤のお楽しみは、
仲間の侍が増えていくところだ。
つまりこれは、登場シーンの連続なのだ。

登場シーンの何がこんなに我々を引き付けるのだろう。
恐らく期待感だと思う。
新しい何者かが、新しく何かをやってくれる感じ。
先入観を壊してくれそうな感じ。
つまり線を期待する点である。

CMディレクターは、この登場ネタが上手い。
何故なら、殆どのCMは、新製品登場を描いているからだ。
同時に、CMとは新登場でおしまいだ。
いわば出落ちである。
CMのシリーズ化がなかなか上手くいかないのは、
出落ち以上の次がつくれないからだ。
(だから大抵新キャラ登場になってしまい、出落ちを続ける)
ペプシ桃太郎もこの例に漏れず、登場シーンの連続に過ぎない。

ワンピースは、これを実にうまく長く引き伸ばしている。
新キャラのエピソードこみで一篇をつくり、
それが仲間となって増え続けるのを、
最初から10巻以上続けている。
七人の侍方式をうまく引き伸ばしているのだ。



アクションシーンも、点の面白さだ。
連続するアクションは、流れはあるものの、
点の連続する面白さである。
勝ち負けが決まってからどうなるかが、線の面白さだ。
勝ち負けが決まるプロセスがアクションで描かれるなら、
実は点の面白さでしかない。
線は理屈の面白さでもあった。
アクションに理屈はいらない。理屈ぬきの面白さがアクションだ。
だからアクションは、点の面白さである。

だからアクションシーンばかりだと、
急に面白くなくなっていく。
飽きてくるからだ。
特に最近のCG満載の映画にありがちだ。
昔のアクションは金がかかるからピンポイントしかなかったが、
豊富にできるようになったら、
飽和が簡単に起こってしまった。
アクションシーンの最中は、ストーリーの進行が止まっていることに、
脚本家的には注意されたい。
(勿論これらの面白さは映画の醍醐味のひとつではある)
posted by おおおかとしひこ at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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