我々はヤマ師みたいなものだ。
掘る前から、そこに黄金が埋まってるかどうか、
なんとなく分かる。
掘っても掘っても面白くならなければ、
その題材を捨てて、他の鉱山を見つけなければならない。
(いつそれを決断するかも、重要な勘だ)
そこに鉱脈がある、ないの勘の話。
題材は、新鮮なほうがいい。
今更、三角関係とか、正義が悪を倒すとか、
ありふれた題材だけで新鮮なものをつくるのは、
そもそも難しい。
物語の創作は、料理に似ている。
目新しい素材なら、
刺身で味わいたいだろうし、
他の食材との組み合わせも試したいだろうし、
一見こうだと思っていたらこうだった、
という裏切りの新鮮を見つけるのも楽しい。
慣れた食材は、食べ飽きている。
見ただけで展開の大体の予想はつくし、
のびしろとかも分かっている。
カレー風にするとか、素材の味を殺すぐらいのスパイスをまぶせば、
多少別のものにはなる。
なるべく新しい素材を見つけることだ。
なにか新しい食材があれば、
いつもの食材との組み合わせも新鮮だろう。
食材に例えたが、
我々ストーリーテラーにとって重要なのは、
点ではなく、線を生む材料だ。
線として絡んだりのびたり出来そうな材料だ。
なにかの欠損と獲得は、その要素だ。
主人公の学ぶこと=テーマもその要素だ。
さらに短い線でいえば、
手がかりやミスリードから繋がっていく線のありかたや、
ある問題の鮮やかな解決などもあるだろう。
これは面白い話になりそうだ、
という勘は、
知識に左右される。
これまでにあったもの(映画だけでなく、ドラマやCMや、
演劇やマンガや、小説や落語や小話や)
と、どれだけ似ているかや、
どれだけ被っていないかや、
これまでにあったものがどういう構造を持っているかや、
こうなりそうだという構造の予想に、
左右される。
あるいは、経験にも左右される。
経験が浅い者は、
ない鉱脈をあると信じて無駄な時間をすごしたり、
誰も掘っていない所に鉱脈を堀り当てたりする。
経験があるほど、
ありそうな鉱脈を、掘れば得られるリターンを正確にとらえ、
逆にないと思ったら(たとえちょっと頑張れば掘れた金鉱脈でも)
そこは掘らない。
創作というのは、効率とは関係ない。
金鉱脈を掘り当て、莫大な面白さにたどり着けた者の勝ちだ。
一生の時間をかけても鉱脈にたどり着けない人もいるし、
一発当ててその後鳴かず飛ばず、過去の栄光の幻影で暮らす人もいるし、
鉱脈を当て続ける人もいれば、
小さな鉱脈でしのぐ人もいれば、
大きな鉱脈でなければ納得しない人もいる。
掘らないことには、鉱脈に当たることはない。
これが怖いのなら、創作などしないことだ。
当たらないことなど、日常である。
だから当たり鉱脈には敏感であるべきだ。
同時に、たいしたことない鉱脈を見極める目もだいじだ。
そこに鉱脈はあるか。
新鮮な鉱脈、点の面白さより線になりそうな面白さ。
掘るとすれば、そのあたりだ。
2014年04月11日
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