2014年04月11日

そこに鉱脈はあるか

我々はヤマ師みたいなものだ。
掘る前から、そこに黄金が埋まってるかどうか、
なんとなく分かる。
掘っても掘っても面白くならなければ、
その題材を捨てて、他の鉱山を見つけなければならない。
(いつそれを決断するかも、重要な勘だ)

そこに鉱脈がある、ないの勘の話。


題材は、新鮮なほうがいい。
今更、三角関係とか、正義が悪を倒すとか、
ありふれた題材だけで新鮮なものをつくるのは、
そもそも難しい。

物語の創作は、料理に似ている。
目新しい素材なら、
刺身で味わいたいだろうし、
他の食材との組み合わせも試したいだろうし、
一見こうだと思っていたらこうだった、
という裏切りの新鮮を見つけるのも楽しい。

慣れた食材は、食べ飽きている。
見ただけで展開の大体の予想はつくし、
のびしろとかも分かっている。
カレー風にするとか、素材の味を殺すぐらいのスパイスをまぶせば、
多少別のものにはなる。

なるべく新しい素材を見つけることだ。
なにか新しい食材があれば、
いつもの食材との組み合わせも新鮮だろう。


食材に例えたが、
我々ストーリーテラーにとって重要なのは、
点ではなく、線を生む材料だ。
線として絡んだりのびたり出来そうな材料だ。

なにかの欠損と獲得は、その要素だ。
主人公の学ぶこと=テーマもその要素だ。
さらに短い線でいえば、
手がかりやミスリードから繋がっていく線のありかたや、
ある問題の鮮やかな解決などもあるだろう。


これは面白い話になりそうだ、
という勘は、
知識に左右される。
これまでにあったもの(映画だけでなく、ドラマやCMや、
演劇やマンガや、小説や落語や小話や)
と、どれだけ似ているかや、
どれだけ被っていないかや、
これまでにあったものがどういう構造を持っているかや、
こうなりそうだという構造の予想に、
左右される。

あるいは、経験にも左右される。
経験が浅い者は、
ない鉱脈をあると信じて無駄な時間をすごしたり、
誰も掘っていない所に鉱脈を堀り当てたりする。
経験があるほど、
ありそうな鉱脈を、掘れば得られるリターンを正確にとらえ、
逆にないと思ったら(たとえちょっと頑張れば掘れた金鉱脈でも)
そこは掘らない。

創作というのは、効率とは関係ない。
金鉱脈を掘り当て、莫大な面白さにたどり着けた者の勝ちだ。
一生の時間をかけても鉱脈にたどり着けない人もいるし、
一発当ててその後鳴かず飛ばず、過去の栄光の幻影で暮らす人もいるし、
鉱脈を当て続ける人もいれば、
小さな鉱脈でしのぐ人もいれば、
大きな鉱脈でなければ納得しない人もいる。
掘らないことには、鉱脈に当たることはない。
これが怖いのなら、創作などしないことだ。
当たらないことなど、日常である。
だから当たり鉱脈には敏感であるべきだ。
同時に、たいしたことない鉱脈を見極める目もだいじだ。


そこに鉱脈はあるか。
新鮮な鉱脈、点の面白さより線になりそうな面白さ。
掘るとすれば、そのあたりだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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