2014年04月14日

脚本を書くことはセックスに似ている

以下、男子用の記事につき、
女子は参考にならないかも知れない。
下ネタ注意。


セックスは、何回目から、
うまくリード出来るようになっただろうか。
最初からうまくいって、
ずっとうまく行きつづけてる、と豪語する人は帰って頂きたい。
多分、うまくいっていないのに気づいてないだけで、
それを敏感に感じ取れない者は、
ストーリーテリングの才能がない。

何回目から、相手の調子を見ながら、
絶頂に導けただろうか。
一方的にペースを押しつけることなく、
だらだらやることもなく、
うまく緩急を混ぜて、ときには飛ぶように、ときにはゆっくりと。

その回数と同じ本数を、
あなたは習作として書く必要がある。


執筆とセックスは似ている。
目の前のことで必死で、
前からの流れをアドリブでこなしているだけでは、
まだ未熟だ。
現状を冷静に観察しながら、
冷めることなく、自分も興奮をキープして、
ゴールまでの道のりをイメージしておくことが大事だ。
冷静と情熱の間で、緩急もつけながら。
しかも、相手の反応を見ながら、
ときに合わせ、ときに裏切らなければならない。
計画とアドリブを混ぜながら、クライマックスに達さなければならない。

それが、あたふたせずに、
全く先が見えないこともなく、
途中でペース配分が分からなくならずに、
自分の情熱だけをぶつけることなく、
相手の情熱も引き出し、
冷静と情熱を保ちながら、
自らも気持ちよくなるには、
経験値と観察力が大事だ。
コミュニケーションの才能もいる。

脚本も同じである。


小説やマンガよりセックスに近いのは、
脚本は、リアルタイム進行の芸術だからだ。



あなたは、達人でなくていいから、
セックスがそこそこ上手いだろうか。
そこに至るまで、
どれくらいの経験を積んだか。

あなたが脚本において、
それぐらいの支配力を持つまで、
それぐらいの経験を積む必要がある。

よく、ダメな作品はオナニーに例えられる。
いい作品は、セックスに例えるべきだ。


僕?まあまあ、と思ってますが、精進いたします。
posted by おおおかとしひこ at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック