たとえトンチキな世界だって、
リアルにすることが出来る。
つくりごとの世界にリアリティーを持ち込むには、
「この人たちを支える社会の状況」について思いを馳せ、
「この人たちが我々の世界に来たらどうなるか」を考えるとよい。
学ラン忍者が殺しあうマンガの世界、
「風魔の小次郎」の実写化の際に、
気にしたのはそこだ。
マンガの世界の住人を、
我々の世界に置いてみるのだ。
まず、渋谷のスクランブル交差点に置いてみた。
彼らは信号を守り、人混みと歩調をあわせ、普通に渡るだろう。
(劇上の理由で、その場面では立ち止まったが)
長年、マンガやアニメでしか接してこなかったが、
このキャラは人間だ、と思う瞬間である。
たとえ術を使ったり、ぴょんぴょん飛んでも、
スクランブル交差点は普通に渡るのだ。
電車に乗らせる、というのもいい。
コンビニで立ち寄りさせたり、マンガを読ませるのもいい。
飯を食わせるのも、掃除洗濯をさせるのもいい。
その一部は、劇中でも利用し、高い評価を受けている。
妙にリアルだ、と。
マンガではいつも同じ服を着ているが、
我々の世界ではそうではない。
学ランということで、いわば何処にでも行ける服だが、
夏服はどうするか?という問題はある。
(注:原作マンガでは、男は冬服なのに、女は夏服なのだ!)
寝るときに何を着るのか、下着は何か、
など、身の回りを考える。
白虎潜入暗殺の場面で、普通にTシャツ短パンは、
妙にリアルだった。
ケータイはどうする、電波はきているのか、
情報はどうやって得ているのか、
それも妙にリアルな案配にしてある。
何より、名前しかなく姓がないことに、
俺達戸籍ないから、と他人(子供)に説明するとき、
何やら口ごもるのは、妙にリアルだ。
その人が合コンに来るとして、
普通に聞くことを、聞いてみよう。
その答えを、用意しよう。
普段なにやってんの?休みの日は?
昔部活なにやってた?好きな本は?
初恋話、はじめて嘘をついたとき、
一人の時ごはんどうしてる?
100個くらいの質問はすぐに出るだろう。
そこに、矛盾しない設定をつくっておく。
しかし、全てを作品内で羅列する必要はない。
それを表現したときに、妙にリアルなことを、
ひとつふたつ、入れ込むとよい。
当然、その人と出会って最初に疑問に思う、
作品序盤でこのことはやっておくべきだ。
たとえば遊戯王を実写化したとき、
その髪型どうやってんの?
に関する、妙にリアルなことがあるだろう。
逆にそれを用意できずスルーするなら、
それはリアリティーのない作品だ。
ファンタジーは、まるでファンタジーなら、
それは映画化する意味がない。
実写は、人間が演じる。
妙にリアルなところをつくって、
説得するのである。
これはつくりごとなのに、本当のことですよ、と。
その妙にリアルなのが上手い人が、
リアリティーの構築のうまい人だ。
別にマンガやファンタジーだけでなく、
我々の馴染みのない世界を描くのに必須である。
医者の世界の妙にリアルなこと(外科は焼肉にいく?)、
刑事の世界の妙にリアルなこと(トレンチコート持ってる?)、
バスの運転手の妙にリアルなこと(客乗ってないとき歌う?)、
など、その世界と我々の世界との交差点を探るのは、
必ず必要である。
それは、笑いのセンスにも通ずる。
僕が好きなのは円グラフのやつで、
「日本人は曖昧だと思いますか?
はい15%
いいえ5%
どちらともいえない70%」(数字は適当)
という、妙にリアルなやつだ。
こんな調査をすることがファンタジー、
こんな結果になることがリアル、
その落差を含めて、妙にリアルな感覚が、そこに生まれる。
2014年04月14日
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