2014年04月14日

役づくりのメソッド:主観的年表メソッド

役者でも、脚本家でも、
その役をリアリティー溢れる、深みのある人物にするために、
やっておくべき方法。

それは、
その人の人生の年表と、自分の人生の年表を書くことだ。


まず、
自分の人生の年表を書いてみよう。
次のルールを課す。

一年につき、ひとつ書く。
つまり、年齢分の数の何かを書く。

書くことは、今の自分に影響を与えていると、
自分で思うこと。(気づいていないことは、書けない)
だから、物心がつくまでの最初の数年間、
あるいは十年ぐらいは空白でも構わない。


自分のは書くことが出来るだろう。
自分の人生というのは、文字で書くとこうなるのか、
と客観的に眺めるメソッドでもある。
このやり方での、人生の「理解」をまず学ぼう。

いよいよ本番だ。
同じ要領で、その役の人生を、想像で書くのだ。
作中に明示されている過去は、メモ程度に横に書いておいてもよい。
書くべきは、その役が自分の人生に影響を与えたと思っている、
主観的な、過去の出来事である。

創作しても構わない。
自分の人生と違うことでもいい。
空白の行に困ったら、自分のものをコピペしてもよい。
15歳なら15歳なりの、25歳なら25歳なりの、40なら40なりの、
80なら80なりの、人生の主観的年表がある。

これで、その役の人生の流れを「理解する」。

どんな生き方をしてきたかや、
どんな影響を受けてきたか、
つまり、どんな主観的流れの中で生きているかを、
自分の人生と同様のリアリティーで、
頭の中で再現するのだ。



登場人物の履歴書を書くことは、
昔からあるメソッドである。
好きなことや嫌いなこと、
愛読書や座右の銘やファッションやよくいく所、
食べ物や音楽や映画や、趣味や部活や住んでるところや部屋の様子を、
性格やキャラを決めることだ。

決めることで何が生まれるか。

「点」のリアリティーだ。
その時点でのその人の実在らしさだ。
よくある組み合わせなら、リアリティーのある平凡、
不思議な組み合わせなら、ちょっと個性的な人、
その程度の違いしか生まないが。
(もっとも、その程度のリアリティーも構築出来ない人はたくさんいる)

バンドの編成をするとき、
個性豊かなメンツにしたいのは当然だ。
だから、なるべくバラバラにキャラを立たせようとする。
こういうときに、点の履歴書は、役に立つ。
見た目や癖や言い方、つまり表面的な事をコントロールするときに大事だ。


内面に踏み込むとき、
その人物の、これまで生きてきた軌跡を辿る必要がある。

それを、リアリティーに溢れさせるためには、
その人の主観的年表をつくるのである。
(その横に、本人はまだ気づいていないが、客観的に影響を与えていること
を併記するのもよい)
リアリティー溢れさせるために、
自分の人生と同様のリアルらしさにするのである。
慣れてきたら、自分と親しい人、例えば嫁ぐらいの年表を作ってみるのもよい。
親の年表を作ってみるのもよい。

その年齢分の数のイベントを用意するのは、結構難しい。
しかし、それは自分の年表と見比べてみればわかる。
その年の最大ニュースを選んでいる程度の年もある、ということに。
つまり、年は均等ではない。
密度の濃い時期も、薄い時期もあるということだ。
それを、年表をつくりながら、
その人の内面に入ってゆくのである。


突然、点としてそこに現れる人はいない。
その人がその人になるために、
過去があったのである。
そして現在のベクトルは、
過去からの矢印の方向へ行こうとしているのである。

ただ登場する人物は、劇の中にはいない。
誰もが目的を持ち、何らかの行動をする。
(端役以下は、そうではない、ただ登場する人のこと)
その目的こそ、これまでの人生の年表からの流れの筈である。


時間軸をもつリアリティーは、
点の履歴書からは決して生まれない。
僕がたびたび、静止画的な、点の履歴書でのキャラ設定を戒めているのは、
こうした理由からである。

我々は、静止画を描くのが仕事ではない。
変化やコンフリクトから生まれる衝突や、二度ともとに戻らないこと、
すなわち時間を描くのが仕事だ。


そのために、過去をつくり、
現在に接続するのだ。

しかも、過去の客観的な年表でなく、
主観的な流れであるところに、このメソッドの特徴がある。
人は客観的なことではなく、
主観的なことで動くからだ。
たとえ客観的にはそうすべきと思っても、
そうしないことが人間にはある。
そのようなリアリティーを、主観的人生から作っていくのである。


さて、執筆するとき、実際に演じるときは、
その年表を見てはいけない。
年表の説明が主な仕事になってしまい、
今起こっている事件への、ビビッドな情動を描けなくなるからだ。
(事件が現場でなく会議室で起きてしまう)
客観的に見てそうすべきなのに、
その人の主観的にはしない場面に来たとき、
その人は他人に過去を説明するのか、
誤解され続けるのか、
理解されず離脱さるのか、
それがドラマだ。
今何が起こっているかがドラマだ。
それを書くには、過去の年表を見ずに、
なんとなく記憶に留めるレベルにしておくべきだ。


主観的年表メソッド、ととりあえず名付けてみる。
活用されたい。
posted by おおおかとしひこ at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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