2014年04月16日

あらすじを書こう

ごくごく基本的なことなのに、
いつまでたっても難しいこと。
それは、あらすじを上手に書くことだ。


国語教育的な、何があって、次に何があって、というような、
客観的には正しいが詰まらないあらすじは、どうでもよい。
ここでは、もっと実践的なあらすじのことだ。

実践的なあらすじの理想は、
あらすじの段階で既に面白いことだ。



ここでいう「面白い」とは、
作品の本質的な面白さのことだ。

作品が落ちで大爆笑するなら、そのように大爆笑するようなあらすじを書く。
作品が泣ける話なら、少なくとも涙がにじむようなあらすじを書く。
作品がトリックにうなるなら、うなるようなあらすじを書く。
作品がハラハラドキドキなら、先が読みたくなるあらすじを書く。
作品が燃える展開なら、アツイあらすじを書く。
(例えば先日の桃太郎は、これ)

つまり、その作品の一番大事な面白さが、
一番表現できている、あらすじでなければならない。


僕は大体A4で1、2枚に書くから、800から1500字ぐらいだと思う。

それで冒頭から結末まで書いたとき、
ラストシーンを読み終えて、
その作品を見終えたような感情を抱かなくてはならない。

「ロッキー」のあらすじを書くなら、最後のエイドリアンを呼ぶ場面で、
男のプライドを取り戻した、えもいわれぬ感情を抱かせなくてはならない。
「カリオストロの城」のあらすじを書くなら、
やつが盗んだのは、あなたの心です、の銭型の台詞で、
全ての感情がビシリと決まり、またいつものおっかけっこに戻る、
凄い冒険が終わって、ほっとしたようなさみしいような、
そんな感情を抱かせなくてはならない。

つくったあとの作品がもたらす、
その深さには及ばなくとも、
この方向の感情を抱かせる作品なのだ、
という読後感を、あらすじで表現しなければならないのだ。

ペラ2枚もあれば、それは表現できて当たり前だ。
それが出来ないのなら、
あなたに文章力がなく、作家に向いていないか、
まだその感情に至るほどの、話がうまく出来上がっていないかのどちらかである。

前者かどうかを判断するには、
マイベストムービーから選んで、
そのあらすじを書いてみることだ。
それを自分で読んだり他人に見せたりして、
その感情に全く至らないのなら、辞めるか、一から修行しなおしだ。
あらすじ100本ノックでもやってみたまえ。

どんな面白い映画でも、その面白さの本質をとらえ、
それを的確なあらすじに書けるようになったら、
あなたの考える、新しい面白さを持った話の、
あらすじを書いてみるといいだろう。

文章力があるのにも関わらず、
あまり感情をゆさぶらないのなら、
まだあらすじすら、完成ではない。

あなたが何を目指すか、どんな感情を抱かせるべきかも、
まだ曖昧であることが多いのだ。
いいあらすじを書く、というのは、
それを決めて、ある程度深く掘り、
軽く実現してみせる、
ということに他ならない。

あとは詳しく書くけど、おおむねこういう話で、
結果的にこの感情を抱かせるのだ、
ということが表現されていなければ、
それはまだ面白い話ではないのだ。



あらすじを書こう。
明快で分かりやすいのがいい。
文章が読みやすいのがいい。
あらすじで「?」となるのは、必ず本編でもそうなる。
あらすじは、その一本が持たせる、本質的な感情を、
読むものに抱かせるように書こう。

それは、書きながら考えるスタイルでは、決して書けない。
計画して、計画的に書くという、伝統的な工法でない限り、
いいあらすじは作ることができない。

つまり、あらすじを書くのは、その力のトレーニングにもなる。


今、一話完結型のシリーズのあらすじを大量に書いていて
(18本になった)、それはどれも出来のいいものだ。
既に泣ける話や笑える話、奇妙な話などバラエティー豊かに揃ってきた。

例えば「世にも奇妙な物語」の枠があなたに回ってきたとして、
どんな話を書くか、何本かあらすじを書いてみるのは、
いいトレーニングになるだろう。
(そしてその出来のいいものは、いつかのストックになる)
posted by おおおかとしひこ at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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