ごくごく基本的なことなのに、
いつまでたっても難しいこと。
それは、あらすじを上手に書くことだ。
国語教育的な、何があって、次に何があって、というような、
客観的には正しいが詰まらないあらすじは、どうでもよい。
ここでは、もっと実践的なあらすじのことだ。
実践的なあらすじの理想は、
あらすじの段階で既に面白いことだ。
ここでいう「面白い」とは、
作品の本質的な面白さのことだ。
作品が落ちで大爆笑するなら、そのように大爆笑するようなあらすじを書く。
作品が泣ける話なら、少なくとも涙がにじむようなあらすじを書く。
作品がトリックにうなるなら、うなるようなあらすじを書く。
作品がハラハラドキドキなら、先が読みたくなるあらすじを書く。
作品が燃える展開なら、アツイあらすじを書く。
(例えば先日の桃太郎は、これ)
つまり、その作品の一番大事な面白さが、
一番表現できている、あらすじでなければならない。
僕は大体A4で1、2枚に書くから、800から1500字ぐらいだと思う。
それで冒頭から結末まで書いたとき、
ラストシーンを読み終えて、
その作品を見終えたような感情を抱かなくてはならない。
「ロッキー」のあらすじを書くなら、最後のエイドリアンを呼ぶ場面で、
男のプライドを取り戻した、えもいわれぬ感情を抱かせなくてはならない。
「カリオストロの城」のあらすじを書くなら、
やつが盗んだのは、あなたの心です、の銭型の台詞で、
全ての感情がビシリと決まり、またいつものおっかけっこに戻る、
凄い冒険が終わって、ほっとしたようなさみしいような、
そんな感情を抱かせなくてはならない。
つくったあとの作品がもたらす、
その深さには及ばなくとも、
この方向の感情を抱かせる作品なのだ、
という読後感を、あらすじで表現しなければならないのだ。
ペラ2枚もあれば、それは表現できて当たり前だ。
それが出来ないのなら、
あなたに文章力がなく、作家に向いていないか、
まだその感情に至るほどの、話がうまく出来上がっていないかのどちらかである。
前者かどうかを判断するには、
マイベストムービーから選んで、
そのあらすじを書いてみることだ。
それを自分で読んだり他人に見せたりして、
その感情に全く至らないのなら、辞めるか、一から修行しなおしだ。
あらすじ100本ノックでもやってみたまえ。
どんな面白い映画でも、その面白さの本質をとらえ、
それを的確なあらすじに書けるようになったら、
あなたの考える、新しい面白さを持った話の、
あらすじを書いてみるといいだろう。
文章力があるのにも関わらず、
あまり感情をゆさぶらないのなら、
まだあらすじすら、完成ではない。
あなたが何を目指すか、どんな感情を抱かせるべきかも、
まだ曖昧であることが多いのだ。
いいあらすじを書く、というのは、
それを決めて、ある程度深く掘り、
軽く実現してみせる、
ということに他ならない。
あとは詳しく書くけど、おおむねこういう話で、
結果的にこの感情を抱かせるのだ、
ということが表現されていなければ、
それはまだ面白い話ではないのだ。
あらすじを書こう。
明快で分かりやすいのがいい。
文章が読みやすいのがいい。
あらすじで「?」となるのは、必ず本編でもそうなる。
あらすじは、その一本が持たせる、本質的な感情を、
読むものに抱かせるように書こう。
それは、書きながら考えるスタイルでは、決して書けない。
計画して、計画的に書くという、伝統的な工法でない限り、
いいあらすじは作ることができない。
つまり、あらすじを書くのは、その力のトレーニングにもなる。
今、一話完結型のシリーズのあらすじを大量に書いていて
(18本になった)、それはどれも出来のいいものだ。
既に泣ける話や笑える話、奇妙な話などバラエティー豊かに揃ってきた。
例えば「世にも奇妙な物語」の枠があなたに回ってきたとして、
どんな話を書くか、何本かあらすじを書いてみるのは、
いいトレーニングになるだろう。
(そしてその出来のいいものは、いつかのストックになる)
2014年04月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック