シチュエーションはいいんだけど話がねー、
キャラは面白いのに話がねー、
最初はワクワクしたのに後半の話がねー、
こういう絵が撮りたかっただけなんでしょ、
このキャストで、別の話で見たかった、
メロディがいいのに、歌詞がだせえ、
これらは、どれもビジュアル(ガワ)の出来に対して、
中身の出来が追いついていないものへの言葉である。
このイマイチのものをつくったとき、
どう直せばよくなるのだろうか。
多くの素人は、
誉められた所をなるべく残して、
駄目だった所を直そうとする。
既に60点ついているのだから、
あと40点取ればいい、という加算方式である。
ガワの良さはいいのだから、
更に話を練り込めばいいのだと思い、
ガワを残したまま、
新たな中身を(しかも残したガワに合わせた)つくろうとする。
つくるのはましな方で、ちょっとしたアレンジでどうにかしようとする。
これは、間違いである。
人間関係を思い出そう。
欠点も長所もある人に出会ったとき、
イマイチだなと思ったら、
欠点だけを直して、大好きになるだろうか。
60点の評価が、80点90点に近づくか。
否である。
ガワがいい、例えばイケメンやアイドル並だとして、
中身がイマイチの人を、
性格を多少良くしただけで、
イマイチから大好きになるだろうか。
否である。
せいぜい、「ましになった」というだけだ。
人間関係はプラモデルや部品集積やテストの採点のように、
線形加算方式ではない。
別の基準、根本的に好きになるかで決まる。
それは、ジャストミートする好きなポイントがある、
という採点だ。
それがあれば、多少の欠点は目をつぶるのだ。
スーパー好みのビジュアルなら、
中身はなんでもいい、という極端さえ、あり得る。
しかし今問題にしているのは、
ガワはいいんだけど中身がね、という、
イマイチの人間についてである。
メイクや髪型や服で多少誤魔化しても、
もはや魂を射ぬかれるほどのスーパー好みではないから、
欠点だけが目立つものである。
物語も、実はこれと同じ採点方式だと思う。
60点の欠点をいくら直しても、65や66ぐらいにしかならない。
80や90には決してならない。
パーツに分解し、それぞれを足しあわせる、
というのは近代の機能主義の結論であるが、
それが線形加算可能なのは、本質が線形加算可能な系に限る。
人間関係も物語も、線形加算可能な系ではない。
40点と90点の二人と両方並べて、平均の65点はつけない。
40点のイライラが残るだけなのだ。
40点いらないので、90点の一人だけでいいです、
というのが、人間関係や物語の採点方式である。
具体的にどうすればいいか。
ガワを一旦忘れるのだ。
誉められたシチュエーション、導入、キャラ、セリフなどの、
表面的なものを、一端なかったことにする。
そして、誉められなかった部分だけ、
この場合中身だけを取り出す。
これが世界の全てだと思う。
ガワで下駄をはいていた、駄目なところだけを、
世界の全てにする。
これを、いいと思うものに練り直す。
どうせ駄目なのだから、どこをどう変えてもいいはずだ。
原型をとどめないぐらい変形、追加、削除しまくり、
そもそもの本質を変えるぐらい、変えても構わない。
最初のと似ても似つかないものにしてよい。
むしろ、そうしないと、「いい」にはたどり着けない。
以前より全く別の「いい」に、結局たどり着くことの方が多い。
そこでようやく、以前誉められたガワを、持ってくる。
今の「いい」に利用できるところは利用し、
使えないところは無理に合わせず、また新たにガワを作り直す。
人間でいえば、髪型だけ残して全とっかえ、
ぐらいの勢いでも構わない。
中身がよくなっていれば、
良くなったじゃん、と、必ず言われる。
前のシチュエーションやキャラも好きだったけど、
今回のほうがいいな、
となる。
65点ではなく、70や80や90を叩き出すだろう。
人間関係と物語は、この点で似ている。
いい悪いは、単純な加点を足していく方式ではない。
好きになるジャストミートが、いっこあればよい。
そして、人間も映画も、
ビジュアルではなく中身のことを、言っているのである。
これに反対するなら、
ビジュアルだけで中身のない、
「ザ・セル」を思い出そう。
あそこまでビジュアルを極めてるのに、
ビジュアルはいいけど話がねー、と結局言われるのだ。
リライトは、勇気がいる。
イマイチな部分に対峙する勇気が。
自分はイマイチだと認める勇気が。
イマイチなものから、いいものに変換する自信がなくても、
それを転がして練り続ける勇気が。
その勇気がない者が、
誉められた所を残して保険をかけようとする。
ガワはいいからいいじゃないか、と開き直る。
イケメンや美人で何が悪い、と開き直り、
中身の悪さに向き合う勇気のなさを隠す。
その隠すことが、イマイチなのだ。
ビジュアルの良さに労力をかけたから、
その苦労を台無しにすることを嫌うのだ。
そのビジュアルにすがらないことが、本当は正解なのに。
ビジュアルをつくる労力に比べ、
中身をつくる労力は、前記事ではとりあえず9倍、としてみた。
もっとかかるかもだ。
2014年04月16日
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