2014年04月18日

ブロックリライト法(つづき)

ビリー・ワイルダーの例で、考えてみる。
ここから先は僕の推測なので、
実際には違う可能性もあることを先に断っておく。

「情婦」の一場面を例にとる。
なおネタバレにつき、未見の人は以下立ち入り禁止。


裁判の初日の場面だ。

やらなければならないことは、
主人公の弁護士の活躍を見せることだ。
侮れない実力を見せ、センタークエスチョンであるところの、
不利な材料ばかりの、無実(と思われる)の被告人を、
無罪と出来るのか?
についての、期待感をつくることだ。

入力は、
弁護士の動機:この一見不利な一件を無罪に導くこと
被告人の動機:なんとかして無実にしてほしいこと
看護婦の動機:弁護士に薬を定期的に飲ませること
(直前のシーンで宣言している)

出力は、
弁護士の実力で、裁判がうまく滑り出すが、
アリバイがないという不利な状況は、
まだ油断ならない、という緊張だ。

最初の時点では、
このシーンで傍聴席の女が出ていたかどうかは不明だ。
ここで初出でなかったかも知れない。
しかし、「伏線は初出に仕込む」原則に従えば、
裁判の場面の、一番最初、すなわちここを初出とするべきだ。
これは、あとから足した可能性があるため、
まずはかこれがなかったとして考えよう。


この入出力を眺めて、
あなたが白紙にこのブロックを書くことを考えよう。

ビリー・ワイルダーは、
「普段の嫌みな言動とは違って、仕事の場面では、
抜け目なく相手の心理的誘導を牽制する切れ者」
として主人公の弁護士を描く、
ということをメインのアイデアにしている。

アイデアだけなら簡単だが、
その台詞劇を書くのは並大抵ではない。
この入出力を保ったまま、
きっと何度もこのやり取りをリライトした筈だ。
この場面の検察側とのやり取りは、
実によく書けていて、痛快だ。
これまでの看護婦の目を盗む、毒舌の男が、
IQはそのままに、実に仕事がデキルのだ。
これまでの仕事でない場面との対比が素晴らしい。
散々嫌味言ってたけど、この弁護士やるぞ、
と思わせるに足る台詞劇を組んでいる。

一方、看護婦とのユーモラスなやり取りはキープしたままだ。
こんな丁々発止の弁護劇に、
「薬を定期的に飲まなければならない」という枷を設けるのだ。
シリアスな状況をコメディリリーフで救うのである。

それを「時計のアラームが不躾に鳴る」という、
一番迷惑な方法を取っている。

最初は時計のアラームではなかったかも知れない。
例えば看護婦が(場違いにも)怒鳴って知らせるとか、
大声を出せないから紙を丸めて弁護士に投げるとか
(裁判長に当たる、などのギャグがあったかもだ)、
色々なバージョンが検討されただろう。
しかし、静粛で緊張した場を、まぬけなアラームがぶち壊すのが、
あの田舎者看護婦っぽくてよい。

「ココア」と称して中身はブランデー、
という彼なりの反撃は、最初の段階ではまだなかったかも知れない。

これらをやると決めてから、
前のシーンに仕込んだ可能性が高い。
(かなりキーになるので、原作にあったかも知れないが)


ここまで考えた上で、
裁判初日のシーンを、その入出力になるように、
一から書くのである。

最初は切れ者の感じがうまく書けないかも知れない。
看護婦とのやり取りとのバランスが難しいかも知れない。

とくに最初のほうのシーンだから、
キャラが固まっていないこともある。

しかし、二回、三回とアイデアを変え、リライトを重ねるうちに、
弁護士や看護婦は、生き生きと台詞をいいはじめるようになる。

これが、第一稿のときには、まず出来ないだろう。
入出力がフィックスしているからこそ、
会話を練っていけるのだ。



十分な面白い会話劇にたっして、
初めて傍聴席の女をしこむ。

看護婦は、この時点で田舎者のオバサンというキャラが
既に立ってきているから、
傍聴席の初手に仕込むのだ。
はいごめんよごめんよと入ってきて、
馴れ馴れしく隣の女に話しかける。
「私も殺人事件は初めてですわ」と、その女に相槌を打たせておくのである。



ここまで書ければ、
ココアをブランデーにすり替えたり、
時計のアラームが鳴るから大丈夫、というシーンを前ふった方がよいと考える。
で、更に前のシーンのリライトを考えるのだ。
入力と出力を書き出し、
そのシーンでやらなければいけないことを確認し、
それにココアとアラームの二行を加え、
あらためて前のシーンを組み直すのだ。
既存のシーンにインサートしてもいいし、
ブロックリライトして、無理のない流れを一から作り直してもよい。
(多分後者が正解)


この場面の他にも、
「青い便箋にイニシャルが入ったもの」と妻に言わせる誘導の場面や、
電話が入り、あの女の決定的な証拠を売ってやる、と駅で取引をする場面などが、
この方法でリライトを重ねたと推測される。
非常によく書けている場面で、
なおかつ入出力がハッキリしているからだ。


複数の「ストーリー・デベロッパー」を使い、
脚本を工業部品のパーツのように組み立てる、
ピクサーも、おそらくこの方法だろう。
デベロッパーが多すぎて、
各場面がバラバラすぎ、映画全体の統一感が削がれる
(カールじいさんの中盤、トイストーリー3の中盤など)が、
その欠点を知りつつコントロールしきれれば、
合理的なやり方かも知れない。

元々このやり方は、
他人が書いた企画を書き直す、演出家としての経験が編み出した方法だ。
入出力さえ間違っていなければ、やり方は問わない、
と考えれば、比較的自由に考えられるからだ。
(昔のCMは、演出家の才能が企画を上回ればそれをつくるべきとされたものだが、
今では余計なことはしなくていい、という論調が多い)


他人の書いた脚本のリライター、
スクリプトドクターとしても、
このやり方は使えるだろう。
勿論、自分の書いた脚本にもだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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