2014年04月24日

脚本添削スペシャル(5)サブプロット

サブプロットのことを忘れていました。
おりょうについてです。

いるかなあ。
河童と次郎丸の話にフォーカスしたほうが良い気もしますが、
一応考えてみましょう。あとで削ることも検討します。

元の物語では、おりょうはいてもいなくてもいい、ロボット役でした。
存在意義があるとすると、何なのか。


サブプロットの役割は、
テーマを裏から補強することです。
単なるテーマ一本では弱い場合、
裏テーマやサブテーマを並行して描くことで、テーマを強く見せることができるのです。
赤が弱くても、青や白をみせれば、赤が引き立つのと同じことです。

「居場所を、刀(人斬り)から時計(技術、職人)に見出す」
ことの裏やサブは何かなあ。
「ぜんぜん変わらないこと」?

not A, but Bという、きわめて単純な骨にサブはいらないかもですね。
あえて入れるとしたらですが、A側にすがりつくことでしょうか。
おりょうは侍としての次郎丸にほれている、ということにするのはあります。
そのプレッシャーが、次郎丸をして、博打へ走らせている、
ということにするのです。
しかし、それをACT 1で前振り、ACT 3で帰結させることは可能ですが、
ACT 2にどう入れ込むかですね。

次郎丸は博打にいき、出っぱなしで帰って来るから、
おりょうと彼らを絡ませるには、
遅くなったことを心配して外に出たおりょうが、同じく流星を目撃し、
独自に山へ向かう、ということが出来そうです。
道中、おりょうが追いつくのかな。

一応「山賊退治をするのだ、そうすれば士官の道がある」と
おりょうに説明するものの、
次郎丸としては時計のことをすでに考えている、という描き方なら、
テーマとの関連で生きるサブプロットになるでしょう。
あとは定番だけど、河童とともにさらわれ、
クライマックスに登場するのが必要です。


しかし、最初にも書いたように、
「侍としての次郎丸」を大事にするのならば、
刀の手入れが行き届いていないことに、気づかない筈がない。
「抜けない刀」という重要な象徴表現にとって、
おりょうの存在は邪魔なのです。

時計へ引かれる心への反対勢力になる、という意味ではプラスですが、
「抜けない刀」との矛盾が大きい。


このような矛盾が生まれることは、脚本ではよくあることです。
ん?これ矛盾するぞ、は、引いた目で見ていないと気づかないものです。

引いた目でなくとも、
おりょう目線からこの物語を見てみれば、それはわかります。
ステキ次郎丸さん、なのか、
侍として稼いでもらわにゃ、なのかはおいといても、
その一番の武器の錆びに気づいていないわけはない。

あるいは、実はおりょうは刀の手入れをきちんとしていたが、
次郎丸の心がブレーキをかけていたのだ!
というファンタジー的な設定もあるやも知れません。


ただ、やはり、おりょうのサブプロットは、
うまく機能しない気がします。
なくても話が成立するもの。

なので、一度おりょうナシで書いてみて、
展開に困ったら、再利用を検討することにしてみます。


つづく。
posted by おおおかとしひこ at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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