ながらく議論してまいりました、
「流星の侍」改題して「ねじまき侍」、完成いたしました。
意外とはやく書けたのは、今仕事がひまなもので(笑)。
実質手書き執筆二時間、文字打ちと推敲二時間くらいかな。
でも、その前の分析に延々と時間をかけていたことは、
これまでに実況中継してきたので分るかと思います。
では、その脚本を貼ってみます。
ねじまき侍.pdf
おれもプロだなあ、と思うのは、脚本が見事に15分になっていること。
(実際は、アクションシーンとかでもう少し長くなるかも)
ACT 1:5分 (〜出発まで)
ACT 2:6分 (〜ボスの前に立つまで)
ACT 3:4分
のような、ナイス案配になっています。
書いているうちに、プロット状態と変わった部分もあります。
プロットは、あくまで「計画」や「理屈」を書くものです。
現実の、人間対人間の芝居では、
省略しても分る部分や、語るには余計な部分が出てきたり、
さらに良くなる所も出てきます。
「プロットをただ追っただけの脚本にならないように」と事前に注意した、
キャラ立ちの個所が生きています。
(ラストの空を仰いで「むきゅう」なんてのは、
プロット段階では出て来ないアイデアです)
書いてるうちに、クレしん戦国アッパレと、河童のクゥを、
足して二で割ったような話かも、と思い始めました。
最初は「E.T.」かな、と思ってたんだけど。
「自分の居場所を探す」というのは、いつの時代でも、いつの世でも、
人間のだいじなテーマのひとつです。
相手の居場所を確保してあげることが、結局自分の居場所にもなる、
という日本的な話が、また時代劇にあっている感じになりました。
残念ながら、ほらさんの元原稿にあったものは、
数文字程度しか残っていないかと思われます。
でも、そのガワはどうでもよいのです。
彼らの魂の中に、もともとの物語は含まれているのです。
この関係は、「風魔の小次郎」の原作版とドラマ版の関係に近いです。
ちなみに、一連のリライトで、僕はもとの原稿を見ていません。
それがいい感じに作用しています。
最初の添削は、元原稿に縛られた添削です。
それを越える、真のリライトは、見ずにやるほうがよいのです。
頭の中こそが、最も柔軟な場なのです。
(ちなみに、執筆中、プロットすら見ていません。
それがいい塩梅に、プロットより話をビビッドにしています)
さて、この作品の、「立ち位置」を考えてみます。
物語は、書いて終わりではありません。
その出口を確定して、批評することも大事です。
つづく。次回で、最終回かな?
2014年04月25日
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