2014年04月26日

脚本添削スペシャル(10)最終回:作品の立ち位置

さて、かくして出来上がった作品を、
引いた目で見てみましょう。

どこで流れる作品になるでしょうか。


「世にも奇妙な物語」の枠ですかね。
若手を集めたオムニバス系映画の一本ですかね。

では、これに制作費はいくらかかるか、見積もって見ましょう。

実は、この作品は三重苦です。
時代劇、
SFX、
夜間撮影、
で。

時代劇でお金がかかるのは、想像がつくでしょう。
衣装、小道具、そしてちょんまげ(床山、という特別なスタッフ)。
都会(つまりスタッフの会社から日帰りで行ける場所)ではなく、
人工物の少ない田舎ロケですから、
泊まりの費用も発生します。
お城のロケもあります。
街をつくるには、ぱっと見た目にあるものを、
全てつくらなければいけないことになります。
なるべくそれを避けるために、江戸の街は全景だけにして、
これはCGでひとつあればいいようにはしておきましたが。

時代劇の華、殺陣と馬も、多少のお金がかかります。
でもここは譲っちゃあいけないところ。

特撮もお金のかかるもののひとつです。
河童のビジュアルが、一番手間暇がかかりそう。
緑に塗るか塗らないかが、キモになります。
塗るとなると、特殊メイクに二時間。
毎日、河童の撮影時間は常に二時間失った状態からスタートになります。
(実労働時間8時間とすると、6時間しか河童を使えない)
それでも撮りきれる量で、撮影スケジュールを組む必要があります。
塗らない場合でも、塗る場合でも、
甲羅や、服やアイテムを、オリジナルでつくるか、
あるものを使い回す(何かを緑に塗るとか)かで、
お値段も変わってきます。
ちゃんとつくれば高く、しょぼくつくればしょぼいです。
宇宙船の実物をつくるかどうか、
CGでやるかどうかも考えなくては。
(元原稿だと乗り込むところは実物でつくらないと無理、
鎖など、絡みも沢山あります。
最新版だと絡みをなくしたのでフルCGでOK)

夜間撮影は、昼間撮影の3倍手間がかかります。
照明を一からつくるからです。
セット内撮影ではないため、
雨風対策など、キャンプ仕様で出向かねば。
3倍手間がかかるということは、
撮るスピードは1/3になるということ。
スケジュールは3倍に膨らむということ。
じゃあ3倍の値段がかかるということ。
じゃあ撮るカットを減らされるということ。


15分尺とはいえ、3000万で出来るかなあ。
もうちょいかかるかもですね。

大抵の低予算番組は、
昼間の日常を舞台にした、ストレート芝居でどうにかなる範囲で、
物語を描こうとします。
それは、志が低いのではなく、
500万とかの予算しかないからです。

「世にも奇妙な」枠だとすると、そのクラスを平均的にならべて、
ラストの一本だけ派手に予算を使う、スペシャル版のイメージです。
となると、多くの人が注目するような、
有名キャストを呼ばなくてはなりません。
次郎丸とボスは、最低でも有名人です。
と、そのギャラもかさんで、全体予算は4000から5000。
なかなかの規模です。
(低予算映画が1億というのを考えると、15分でそれかあ…)

となると、脚本に文句を言う人が、30人はいるでしょう。
ここから、完成まで、その苦難を乗り越えていく必要があります。



勿論、書くときに、そんなことを考えてびびってはいけません。
若いときは、マックス面白いことを書くべきです。
そして自分のフルスロットルが十分大きくなってから、
現実に作れそうな作品を書くのです。
そして世に出たら、いつかフルスロットルを書けばよいのです。
その時に縮こまって錆び付いていては話にならない。
だから、常にフルスロットルを出す練習はしておくべきです。


作品を書き終え、冷静になってきたら、
この作品はどこでどのように流れるのだろう、
と想像するのはよいことです。
どんな人に特に受けるのだろうか。
万人か、特殊な層か。
若者は。オッサンおばさんは。高校生は。子供は。老人は。

どんな深さでささるだろう。
5分後には忘れてる程度か。
明日になったら忘れてる程度か。
昨日見た?と誰かと話せる程度か。
もう一度見たい程度か。再放送があれば見るか。
あるいは、しばらくその余韻に浸りたいぐらいか。
(流星はこのレベルではないが、ねじまきはこのレベルです)
あるいは、一生を変えるレベルの名作か。

すべての人に楽しまれ、
多くの人の心に残り、多くの人の一生に影響を与えるのが、
優れた文学というものです。
その理想に対して、あなたはどこまで迫れたかを、
冷静に判断するべきです。

友人の批評も大事です。
自分で気づかなかった点を指摘され、驚くことも多いでしょう。
しかし、プロの批評家ではないので、
それが妥当な批評とは限りません。

あなたが、一番正確に、あなたの作品を批評する必要があります。

誉めちぎる批評はありません。
卑下しすぎる必要もありません。

他の名作と比べて、どれくらいの位置にいるかが、
正確にとらえられるといいです。
だから、名作は見るべきなのです。
沢山の駄作も見るべきです。
その群れの中で、自分の作品はどこにいるかを体感するのです。

あれよりは全然面白くて、あれには叶わない、
ぐらいが分かれば、それでよいでしょう。

そして、次回は「あれ」を越えるものを書くのです。



正直、脚本添削をすると言ったものの、
応募がある可能性は低いかなと思っていました。
このブログは、毎日200人以上、500から1000のアクセスがあるブログです。
毎日見る人がそんなにいるとも思えないし、一見さんもいるでしょう。
でも、記事をアップすると、
その日中に見る人が12人くらい、2、3日中にさらに15人くらい、
つまり、30人くらいはレギュラー読者がいることが、
アクセス解析で分かっています。
そこまで読むからには、きっと書くことを目指す人達なのでしょう。

ほらさんは、それらの中で、突出した才能があったのです。
「最後まで書くこと」。
一度これを成し遂げたら、次回こそもっといいものを書きたい、
と思うのは、人間の性です。
自分の作品が未熟で、悔しい思いをしたり、恥ずかしい思いをすることも、
それは、書いた者だけの特権なのです。
代表作は次回作、というチャップリンの思いを、ほらさんは、もう味わうことが出来るのです。
次はもっといいのをつくってみせるぞ、と。
それは、書いた者だけの特権なのです。

僕は本気出しました。
もっといいものに添削出来る、凄い才能の人が世の中にいるかも知れません。
流星の侍は、もっといいものに化けるかも知れません。
僕とて、道半ばの者。
そうやって、皆が高みに登ろうとしているのが、
脚本家たちの世界だと、僕は勝手に思っています。

ほらさん、これにめげず、更なる面白い、次回作を書いてください。
そして反省し、それ以上の作品を書いてください。
その正のループに入る第一歩は、もう踏み出したのですから。



読者の皆さんも、これに刺激を受けて、
色々なお話を書いてみてください。
書き方や注意すべきこと、その基礎理論は、
このブログに、大体書いてあります。

では、長々とやってきた、一周年記念、脚本添削スペシャル、
これにて終了です。
脚本は、頭を非常に使う行為だということが、
読んでいるだけでも伝わるかと思います。お腹すくよね。


以下、通常運転に戻ります。
posted by おおおかとしひこ at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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