2014年04月28日

面白さとは、異常のことである

「面白さとは何?」というようなキーワードで、
本ブログにたどり着いた人がいるようだ。
面白いテーマなので、食いついてみる。

僕は、「異常であること」だと思う。


異常を描くには、正常がなにかを、知っていなくてはならない。

「学校で銃を乱射する」が正常である世界では、これは異常ではない。
(たとえばSWATの話などでは、これは想定される事件の範囲だろう)
普段我々が生きている、平和な日本という世界が正常範囲なら、
これは異常だ。

つまり、異常とは、正常との対比で決まる。

死体を繋ぎあわされて誕生した醜い人造人間(フランケンシュタイン)は、
我々の日常では十分異常だが、
「怪物くん」やフリークスの世界では、単なる一キャラでしかないだろう。

異常な性質を持つ宇宙人は、我々のクラスに転校生として来れば異常だが、
その星の沢山の一人であれば、異常ではない。
(むしろ地球人である主人公が異常者扱いされる。
そのような逆転により相対的視点を提供することは、SFの基本である)

助走なしに5mの高さにジャンプ出来る人は、オリンピックの世界でも異常だが、
「スト2」では普通である。
むしろこの世界では、垂直飛び1m以下のほうが異常かも知れない。


異常を生かすには、正常を描くことだ。
「正常の中の異常」を、意識することである。


さて、異常が現れると、面白くなる。

正常の世界は、我々の日常と同じで、なんら面白くないからだ。
毎日毎日同じ日がつづき、良くもなければ悪くもならない。
(悪くなる一方の場合もある)
その退屈を、異常が変えてくれそうだからだ。

「アンタ面白いね。こりゃあ先が楽しみだ」
なんてセリフは、程度はどうあれ、どの物語の人物も吐くだろう。
つまらない日常にステキな転校生がやってきて恋の予感、
という定番も、異常が正常の中に放り込まれたからだ。


異常は、異常ゆえに、
人気と、忌避の両方の反応が正常からは下される。
そして次第に排斥へと向かう。正常世界の維持である。
この「動き」が物語の、大きな原動力になってゆく。


異常が主役の場合、
その異常が、訳も分らない異常なら、なんの感情移入も出来ない。
ところが、「そこは僕らと同じなのだ」という所に気づくと、
途端に感情移入が出来るようになる。
「フランケンシュタインが優しい心を持つ」のは、その典型だ。
醜い異常怪物でも、繊細な心を持つことが、感情移入のきっかけになるのだ。

思えば、人を好きになるのもこれに似ている。
退屈な日常に現れたニューカマーは、異常である。
そこに、自分と似たところ、理解できるところがあると、その人を好きになる。
そして、そもそも異常なので、正常ではない異常能力がある。
それが憧れの対象になるのである。


異常は、正常との対比で表現される。
その落差が、面白さだ。
異常の中に感情移入要素を見つけ、
異常側に踏み出すこと(スペシャルワールドへの侵入)が、
つまらない正常を、ぶち壊してくれそうな期待がある。
その期待感が、面白さの正体であると、僕は考える。


藤子不二雄の作品は、必ず異常者が日常に現れる。
未来から来た猫型ロボット、大食らいのお化け、忍者、怪物ランドのプリンス、
などなど。

恋は、身近な慣れ親しんだ世界ではなく、
必ず「他の世界の人」へのあこがれからはじまる。

異常とまでいかないにせよ、物語のはじまりは、日常世界と違和感のあることからはじまる。

よくある物語の導入は、使者(ヘラルド)が来ることだ(依頼も含む)。
別の世界から、いつもの正常ではない異常事態が持ち込まれるのだ。

キャラの面白さは、他にはない要素(すなわち異常)である。

遊園地とは、重力や慣性などを異常化した乗り物で楽しむ。
(あるいは日常を離れた異常な世界観で楽しむ)
舞台は非日常。時代劇や中世物語は、それだけで非日常。

そもそも、映画とは、日常世界でない、異常事態について描く。

映画の玄人が楽しみにする映画は、よくある異常ではない、
滅多にない異常である。よくある異常は、先が読めてつまらない。


正常世界(テーゼ)と異常世界(アンチテーゼ)のアウフヘーベンが結論(ジンテーゼ)だ、
というのが、そもそもの古典的物語論である。

「異常」は、物語の数だけあるだろう。
超能力、怪物、幽霊、宇宙人、機械、特殊能力、殺人、異常性格、心が病むこと、
ビジュアル、世の中に見ない関係、持ちもの、キチガイじみた信条、大事件、
などなどなど。

中二病とは、この異常に興味を持つこと、と言ってもよい。
それは、正常世界を抜け出して別の地平に興味を持つ、冒険者や探求者としての、
人類のDNAがそうさせるのかも知れない。
中二病は、自立への過程のひとつだと僕は思っている。


物語は、異常の端緒である、異物からはじまる。
僕の異物論(詳しくはトップの脚本論の中のインデックスからたどって下さい)
は、そう主張しているのである。


面白さとは、異常さのことだ。
逆に、常識的ではみ出さないものは、面白くない。(最近のCMみたいに)
面白さとは、本来、
良識ある大人が眉をひそめるような、異常から出てくるものである。
posted by おおおかとしひこ at 17:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。
漫画家志望の22歳、あやかと申します。
「面白さとは何か」の検索ワードでこちらのブログにたどり着いたのはたぶん私です。
びっくりしつつ拝見しました。長く私の中にある疑問といいますか、埋まらない物がぴったりとはまりました。
偶然の縁ですが、もやっとしたものが晴れて嬉しかったです。
またの偶然の縁を願って、大きく成長して見つけてもらえるように頑張ります。

Posted by あやか at 2014年04月28日 20:17
「犯人は現場に必ず戻る」の心理でしょうか。(笑)
読んで頂いて光栄です。
僕も高2まで漫画家を目指してたので、羨ましいです。
「出来るだけ連載を長く続ける」漫画と、
「決められた尺の中に物語を整える」映画では、
作劇の仕方に差があると思いますが、
何かの参考になると幸いです。
面白い漫画をかきつづけてください。
Posted by 大岡俊彦 at 2014年04月28日 21:16
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