2014年04月28日

キャラクターメイキングと、分裂症

キャラクターを作ることは、とても楽しい作業だ。
しかし注意をしたい。
深く入れば入るほど、離人症(精神分裂症:現在では解離性人格障害、の初期症状)
を起こしかねないということに。


それはそうだ。
脳内で、全く違う人格を、二人、時には数名会話させるのだ。
それぞれ違う目的や事情をもち、
相手の知っていることを知らないこともある。
それを同時に脳内で演じるのは、
もはや精神分裂以外のなにものでもない。

「エースを狙え!」の作者が、
宗像コーチの死に耐えられず、新興宗教の教祖になったことは有名だ。
脳内の想像上のキャラクターは、
それほどの影響力を本人に及ぼす。

マンガや小説などは、
完結せずに連載している期間が長いから、
余計に及ぼす影響は大きいかも知れない。
映画脚本は、完結前提のプロットを考えてから書き始める。
最後に人格統合がある前提での、分裂ごっこは、
精神にまだましかも知れない。
(このような統合過程は、精神治療と同等のカタルシスを得られるかもしれない、
と以前書いた)
ねじまき侍で見たように、プロットを先に完成させてから、
キャラを立てて書く段取りは、
キャラの憑依し過ぎを防ぐ、経験的方法かも知れない。

キャラの憑依は大事だが、
その憑依は、脚本の完成とともに下ろさなければならない宿命であることも、
理解しておこう。
それもこれも、何度も完結させた経験のある人でないと分からないことであるが。

新しいキャラをもはや作りにくくなった手塚は、
ブラックジャックで、スターシステムを採用した。
かつて作ったキャラを再利用するのだ。
キャラそのものより、プロットが大事なのだから、
スターシステムは実はマクガフィンである。
どんなキャラでもいいから、いっとき間が持って話が進めばいいのである。


キャラを軽視することは、
単なるプロットだけの物語になり、
個性も何もあったものではない。
トリックと解決だけのミステリーのように、味気ないものになる。
濃いキャラの探偵こそが、そこに人間味を加えるのだ。

が、キャラは第二の優先順位だ。
所詮はガワだ。
第一のプロットに、頭を使うべきである。
(これとて、一人将棋のように、分裂して考えなければいけないのだが)


ハリウッドでは、複数のライターが、
それぞれの役を演じる、という書き方もあるらしい。
役者がやるエチュードのような方法論だ。
それほど、複数のキャラの同時進行は難しいのだ。
分裂症を楽しみ、それに飲まれないように、
日々生きてゆこう。
posted by おおおかとしひこ at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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