と、大胆に言ってみる。
オチだけを抽出して言うのではない。
オチの良いストーリーは、それまでも良く出来ていないとオチないものだ。
どんでん返しオチや、びっくりオチや、不条理オチではなく、
本当に満足したいいオチが、いいストーリーだった証拠だと思う。
奇道のオチは、いいストーリーじゃなかったときの、
誤魔化しの変化球に過ぎない。
だから衝撃のラストとか、読めないオチなどに、
本当は意味などない。
一流の味ではないものに、スパイスや辛味で刺激を足して誤魔化しているに過ぎない。
いいオチとは何だろう。
オチが来ることで、これまでのストーリーの全ての要素が、
意味があったことが分かり、
全てがオチで象徴されるように、一枚の絵に収まることを言うのだと思う。
最初のことも、途中であったことも、
オチが来ることで、意味が確定し、全てが一本に繋がり、
線が点におさまって綺麗に終わることが、
いいオチの条件であるように思う。
脚本添削スペシャルで書いた「ねじまき侍」のオチは、
その条件を満たしていると思う。
名作に到達しているかどうかは諸君の判断に委ねるが、
佳作の域に少なくとも達しているのは、
ひとえにオチの見事さではないかと思う。
オチには、成る程ね、という全てが腑に落ちた感じと、
それが記憶に残るほどのキャッチーさの、
二つが必要であると思う。
名作映画のことを、かつて名画といった。
一幅の絵のようなラストシーンが、その条件であるように思える。
それはつまり、そのストーリーがどのようなオチだったか、
ということだと思う。
「第三の男」「風と共に去りぬ」「北北西に進路を取れ」
「イヴの総て」「サンセット大通り」「お熱いのがお好き」
「情婦」「アパートの鍵、貸します」「現金に体を張れ」「ローマの休日」
「チャイナタウン」「E.T.」「ロッキー」「髪結いの亭主」「汚れた血」
「ルパン三世カリオストロの城」「ブレードランナー(通常公開版)」
「バックドラフト」「ノッティングヒルの恋人」「バタフライエフェクト」
などのクラシックは、全てオチが名画になっていると思う。
そしてオチがストレートにテーマを言わず、
含みを持たせているところが名画の奥ゆかしさだ。
(ロッキーだけが例外的にストレートか)
かつては、そのようなことが映画の大目的だった。
それが上手く行かないときに、
外しやら変化球で、奇道オチが生まれたようなものだ。
近年の映画で、それをきちんと狙っているものが、
減ってきたように感じる。
真の満足、真のオチを、最近見ていない気がする。
オチとは、前ふりの連続が必要だ。
それがオチによって、それまでのものが、
無駄なく一本の糸として存在の意味があったことが、
一気に腑に落ちることだ。
意外性などの逆目ではなく、
順目でテーマのラストピースが埋まることだ。
奇道のオチなど書いていないで、
真っ当にオチできちんと落とす、王道に挑戦してみてはどうだろう。
実はこれを継ぐことが、一番難しくて、一番価値のあることだと思う。
(手前味噌になるけど、ドラマ「風魔の小次郎」のオチは、本当にちゃんとオチた、
綺麗なオチだと思います。だから名作の評価が高いと、個人的に思っています。
いかんせん知名度がないので、隠れ名作なんですが)
2014年04月29日
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