人形ふたつ用意する。
これに会話させるイメージで。実際口に出してもよい。
子供が人形遊びでやることを、実際にやるのだ。
使う人形は、そのキャラの本質を示した何かであるとよい。
人間の形をしていなくてもよい。
「ねじまき侍」なら、たとえば徳利と河童人形でいいかも。
三次元の立体物がよく、
二次元の写真や似顔絵やデータはダメだ。
必ず、この世に存在している「モノ」がよい。
コップ、小物、飴、とにかく手で持てて、モノ対モノの会話を、
人形劇のように出来るものがよい。
呪術に詳しい人なら、これは呪術の基本でもあることに気づくだろう。
生命のないモノに、命を吹き込む行為なのだから。
完全に書き終わったら、そのモノは破壊し、焼却する。
または箱にしまい(普段見えないようにし)、
大切に保管してもよい。
会話劇を書くことは、
大げさに言えば、自分の別人格を呼び出す行為だ。
脳内だけでできる人は器用にやればよいが、
脳の外に出し、直接触ることで発想のきっかけにするとよいだろう。
Aが喋るときにBはどう聞いているか、脳内でビジョンの出にくい人も、
目の前のブツを見ればイメージしやすくなる。
しかもこの方法は、会話が客観的に面白いかどうか、
目の前で検証できるのだ。
なお、ブツブツ言っているところを見られたら、
これは脚本を書いているのである、と説明出来るようにしておかないと、
あっち側にいった人になるので注意。
自分の部屋以外ではやらないことだ。
二人の会話ならまだしも、
同時の5、6人の会話では、その現場を簡易的につくり、
その数のブツを置いてイメージするとよい。
こうしないと、発言者以外は何をやっているか、
をイメージしにくいのだ。
死の間際の壬生の言葉を、黙って聞いている風魔(12話)のような、
へんてこな場面を避けることができる。(まあ、様式美という納得をしてたけど)
映画においては、
「その登場人物が出ていないシーン」というものが必ずある。
その間何をやっているか、ブツがあるとイメージしやすいだろう。
脳内だけで時間軸も含めた4次元空間を常に作り出すことは難しい。
だから、人形のカタチを借りるのだ。
登場人物の似顔絵や全身像を絵にかくことも、
同様の力があるが、これは絵を描く能力に左右される。
しかしこれでも二次元だ。三次元のほうが強い。
何故なら、映画はアニメではなく、立体物を撮影するからだ。
2014年04月29日
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