三幕構成論を昔かんちがいしてたので、後進の者のために書いておく。
映画とは、オープニング(2時間映画だと5分くらいまで)をのぞいては、
「常に」焦点を保ち、ターニングポイントをしょっちゅう迎えなければならない。
(その密度が、物語の密度となる)
第一ターニングポイントや第二ターニングポイントという言葉が、
ターニングポイントがふたつでいいと誤解させてしまう。
(ちなみに以前書いた二時間脚本では、
小さいものも含めると76のターニングポイントがあった)
大ターニングポイントが、ふたつでいいという意味なのに。
三幕構成におけるACT 1が「設定」だからといって、
30分近く設定だけをしてはならない。
大きな文脈でいえば「設定」にあたる、という程度のことで、
物語自体は、常に事件がおこり、主人公たちはそれに対処し続けているのである。
焦点はその事件に向けられ、主人公たちはそれに反応したり、
行動したりする。
そのストーリー部分を描かずして、設定だけをやっていると、
非常に退屈な話になってしまう。
通常の物語を描きながら、最初に設定しておく部分は、ここで全てやる、
という意味での「設定」の文脈だと思ったほうがよい。
(脚本添削スペシャルにおける「流星の侍」の第一ブロックが、
ほとんど設定しかなされず、特にドラマが起こっていなかったことを思い出そう)
ACT 2の「展開」の意味も同じだ。
ACT 1でだって展開はあるし、小解決はある。ACT 3でも展開はある。
ACT 2で設定だってするし、小解決はある。
小さな焦点が設定され、展開し、解決する(そして完全には解決しない)、
という小ループはどのACTでもするべきことだ。
全体で必要な設定部はACT 1でなされ、
全体の大きな展開はACT 2で主にあり、
全体の解決はACT 3で行う、
ぐらいの意味合いで捕えておくとよいだろう。
第一、第二ターニングポイントは、
その小ループの中でも特別大きなイベントなのだ、と理解するとよい。
主人公に選択が迫られ、リスクとリターンが示され、
なにかを決定することでセンタークエスチョンを暗示し、
次のACTの方向性を決定づける、大イベントである、
それだけのことである。
小ループで続いているドラマの連続の中に、
大きな構造をつくる役割を担っているパートがある、だけである。
三幕構造を意識して、ドラマをつくるべきではない。
まずはざっくりと大きな流れを考えるのが先だ。
第一次プロットを書き終えてから、
三幕構成をなすように、第一ターニングポイント、第二ターニングポイントを
あらためてきちんと考え、
第二次プロットへと書き直す、ぐらいの意識でいるとよいだろう。
あるいは、既に第一第二ターニングポイントがあるならば、
それぞれのACTの尺配分を考えるとよい。
長過ぎる、短すぎるACTは、リズムが悪いからだ。
1:2:1のハリウッド黄金比、
僕のいう短編での1:1:1や2:2:1(序破急)などを参考に、
ざっくりと尺の長さをイメージするのもよい手段だ。
とすると、足りない所はどこか、多すぎる所はどこかが、
自動的に分かってくるのだ。
三幕構成論はそのように、既に出来上がりつつあるものを、
「映画形式に整える」ために使うとよい。
(その比になっていないものが、どれほど気持ち悪いかは、
仕上げて見れば分かるだろう。そのような失敗の経験をすることも、
若いうちは重要なのだが。なぜこの時間比になるかは、
あくまで経験則なのだから、それ以外の解答だってあり得る筈だ)
小説や漫画原作の映画化において、
原作は三幕構成のリズムで書かれていないため、大抵齟齬が出る。
そうして原作ものの数々は失敗してゆく。
まずは、面白い話を書くことだ。
それが第一優先であり、三幕構成を守ることが第一ではない。
その面白い話が映画形式で語られるとき、
「三幕構成で書かれた方が映画的に気持ちいい」程度と認識すべきである。
三幕構成を守っていない名作も、沢山あるかも知れない。
三幕構成は絶対ルールではない。基本であり王道なだけである。
2014年04月30日
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