そいる様コメントありがとうございます。
アイデア拝見しました。
そのダジャレを言って怒られない、高田純次あたりが適役でしょうか。
しかしこれは、どれだけ魅力的であろうとも、
点のキャラクターデザインであり、
線のキャラクターデザインではありません。
線とは時間のことです。
時間とは、変化のことです。
最初と最後で、人間の中身が変化することが、
時間軸をもつ、おはなしという芸術です。
(中身が変化するには、影響を与えあう必要がある。
これを絡みといい、人格が溶け合うことを含む)
それに対し、「キャラ」は時間変化をしません。
キャラを考えるのは楽しいですが(ワンピのウソップが元ネタ?)、
それは線(時間)を考えていることにはなりません。
逆に言うと、キャラが変わってしまう(ほど凄いこと)ことを描くのが、
おはなしです。
僕がペプシ「桃太郎」を批判しているのはまさにそこで、
それはプロットの未熟さです。点ばかりで線がないことです。
桃太郎が、
1宮本武蔵なる人物に出会い、
2師匠として弟子入りを許され、
3一人前として認められ秘剣を授かる、
というプロット自体は今回は存在します。
問題は、前回と同じ「動機」です。
宮本武蔵に動機はありません。
何故剣を教えるのか。何故今まで教えていないのか。
(ありがちなのは、凄い剣で誰も継げる者がいないから、
村人には教えず、継承者に相応しい者を待っていた)
何故自分で鬼を倒さないのか。
(普通年取って無理、にするけど、側宙できるぐらいの身体能力があるし)
動機は、「したいことがありそれを実行中」でもよいし、
「あることのせいで本来したいことが出来ていない」のパターンでもよいです。
そもそも、桃太郎に動機がないので、
宮本武蔵の動機との絡み(これをコンフリクトといいます)がない。
異なる動機が反発したり、呉越同舟したり、妥協点を見つけることが、
ドラマです。
それによって、自らの考え方を変えることが、
時間軸を持った変化です。
これは、じっとしてて突然変わるわけではない。
喧嘩したり、一緒に行動したり、決定的な亀裂があったり、修復したりという、
人間関係の変化と行動で、徐々に変わっていくのです。
これは恋愛にも似ています。
適齢期の男女でやれば二人は恋におち、
それ以外の二人なら、友情を結ぶのです。
勿論、逆に喧嘩別れや殺し合いへと発展してもよいです。
今回のエピソード1は、プロットの1/10だけしかありません。
「やること」のリストです。
これは夏休みの予定と差がありません。
残り9割の、
「何故それをやろうとするのか」(動機)
「どんな抵抗や反発や団結や決裂などのドラマがあるか」(コンフリクトによるドラマ)
「そしてそれぞれはどうキャラが変わるか」(変化)
が、何一つ描かれていません。
さて、今回の宮本武蔵は、脇役です。
脇役に関するストーリーを、サブプロットといいます。
桃太郎と鬼退治の大きな軸がメインプロットです。
犬、猿、雉のそれぞれの話もサブプロットです。
サブプロットは、メインプロットに対して、
どのような存在意義があるか、という位置づけを考える必要があります。
僕のつくったバージョンでは、
鬼を倒すのは「仲間」でした。
自分より強い奴を倒すのは、一人ではなく仲間だ、という論法です。
犬、猿、雉のサブプロットは、仲間を得るサブプロットとして、
メインプロットに寄与します。
宮本武蔵のサブプロットの役割は?
秘剣(鬼斬り?鬼切丸なる刀は、たしか源の頼光が酒呑童子を切った剣で、
誰の家宝だったっけ…)というアイテムと技を得ること。
つまりは武力の増強です。
修行とあえてしなかったのは、
桃太郎の心の成長と関係がないからです。
桃太郎が宮本武蔵と出会うことで、桃太郎の弱点に向き合うようになって、
桃太郎がそれを克服すること、
そして、宮本武蔵が桃太郎と出会うことで、彼自身も変わること。
この両者があることが、
宮本武蔵のサブプロットが存在することです。
つまり、桃太郎の修行の文脈になればよい、
というのが結論かなあ。
しかしながら、エピソード0で、
桃太郎のそのような問題点は設定されていませんでした。
今設定すると「あとづけ」と呼ばれます。
映画におけるACT 1(冒頭30分)が、いかに大事かわかるでしょう。
あとで使うものは、全てここでやっとかないと駄目なのです。
また、サブプロットは、他のサブプロットとも影響を与え合います。
宮本武蔵と、犬猿雉は、絡まなくてはなりません。
彼らの動機は完全に同じではありません。
(大きくは鬼退治でまとまるのかも知れないが、
それぞれの目的が細かくは違うことがコンフリクトを生み、
話を面白くする)
それには、それぞれの目的を決めなければなりません。
公式バージョンでの宮本武蔵は、
きっと犬猿雉と絡まないでしょう。
サブプロット同士の関係まで考えているほど、ペプシの作者たちは優秀ではないからです。
宮本武蔵は孤高をつらぬき現れず、サブプロットに向き合わず、
多分クライマックスの桃太郎の絶体絶命の場面で現れ、
犠牲になる一番ありがちな展開を選ぶと予想します。
恐らくエピソード2があるとしたら、
出落ちを続け、女キャラ(外人かも)が出る予測が成り立ちます。
卑弥呼かな。和歌を呪文として使える紫式部かな。
剣と鏡と玉を集めるドラゴンボールになるかもね。
で、犬猿雉と出会うところで終わるんだよきっと。
物語のないファッションなんてそんなもの。
そいる様の質問に答えると、
宮本武蔵が、メインプロットである桃太郎の鬼退治に、
どう関わるのかを決めないことには、宮本武蔵を生かせないでしょう。
高田純次的な性格だろうが、公式のようなムッツリだろうが、
どちらでも話を書くことは可能です。
ぶっちゃけそこは好みで、おはなしそのものに影響を与えません。
おはなしとは、動機と行動のペアだからです。
僕は、宮本武蔵不要派です。
何故なら、余計だからです。
僕のつくったバージョンにどうしても入れてくれ、
と言われたら、以下のパターンかな。
宮本武蔵は、鬼の一族である。
鬼の一族といえども、一枚岩ではなく、
侵略強硬派と、穏健派がいるのだ。
宮本武蔵は後者だったが、侵略強硬派に追放された。
穏健派たちは洞窟などにすみ、姿を隠していたが、
桃太郎挙兵の噂を聞き、桃太郎なる人物の器量を試しに来る。
鬼を倒すだけの人物か。
桃太郎からこれを見ると、鬼の一族に力を請うことへの後ろめたさか。
親友(もしくは恋人)を序盤で殺されているし。
その個人的感情の制御こそが、剣の修行との一致か。
犬猿雉を仲間につけたあとに宮本武蔵に出会うとすると、
鬼の一族を分割するヒントになる。
宮本武蔵に先導を願い、鬼ヶ島に残る穏健派を蜂起させてもらうようにする。
宮本武蔵自身も、こうして自分の役割を得る。
脇の人物は、世界の構造の急所に配置するのが常道です。
なので、鬼側の名前のある人物が登場してないので、
そちら側としてみました。
こんな重い宿命を背負ったとしても、オニギリのダジャレを言うような、
高田純次にやらせても面白いと思いますよ。
2014年05月10日
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