2014年05月10日

桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる

桃太郎CMをちょろっと調べると、
それぞれのタイトルが、「Episode 0」「Episode 1」であるそうだ。

これは典型的な駄目タイトルだ。
意味をなしていないからだ。

例えば、「家来集合編」「師匠の剣編」と仮にタイトルをつけてみたとしよう。
そうすると、問題が起こる。


それらは、「家来が集合する」という話や、
「師匠の剣」の話になっていないからである。

タイトルは、「テーマと関連した、キャッチーな言葉であること」が重要なことは、
以前に議論した。

この一連のCMには、物語がない。
動画の集合体であり、動く写真集でしかない。

感情移入、テーマ、プロット、行動、コンフリクトなどの、
物語の基本要素がひとつも入っていない。

あるのは、キャラクターデザイン(静止画的なもので、
時間軸である線的デザイン、ハリウッド理論ではアークというが、
それがない)と、
音楽と、映像のカッコよさ、つまり表面的なファッションだけである。

これがパルコのファッションブランドCMであれば、僕はここまで怒らない。
通常のCMの形をしていて、テーマらしきものもあるから、
その「えせ物語」ぶりに怒っているのだ。


キャッチコピー「自分より強いものを倒せ」はテーマだろうか。
否である。
「自分より強い奴を倒す」話に、エピソード0も1もなっていない。
鬼のすごいビジュアルはあるが、
実際のところ強いかどうかも作中では表現されていない。
(あれだけ怖いビジュアルだが、脛を蹴れば死ぬ生き物かも知れない)
怖いビジュアルだから強い、と仮にしても、
直接戦闘は一度たりとも描かれていない。
描かれているのは、「出落ち」=登場シーンのみである。

おはなしは、点で終わるのではない。
1ではじまったら、1で終わらず、123456789…と続くものである。
それらが互いに関係するから、話の流れが生まれる。
それが終わった時、その軌跡に「どのような意味があったか」をテーマという。
30秒しかない、なんてのは言い訳にならない。
30秒で物語を語る名作CMは星の数ほどあった。
(最近激減していて、絶滅危惧種化してはいるが)

結局「出落ち」だから、点でしかないのだ。
点だから、テーマがないのだ。
テーマのないものに、タイトルはつけられないのだ。


中身があるものかどうかは、(映画でも)タイトルを見ればおおよそ想像がつく。
それがテーマ(中身)の暗示だからである。
それは、「表現意図」とも言う。

ペプシのCMは、何かを表現したいなんてものは、たぶんない。
「カッコイイと言われたい」というテーマなき欲望しか、そこには見えない。



ちなみに誰がつくったかは、広告関係の雑誌を見ればわかるよ。
ブレーンとかでね。
スタッフリストを見れば監督名も載ってるし、
誰がこの陳腐なプロジェクトの首謀者であるかも公開されてはいる。
残念ながらその人は、かつて僕が最も尊敬していた人なのだが。
posted by おおおかとしひこ at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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