デジタル合成、CGの発達によって、
何でも表現できるかのような錯覚におちいる。
しかし、「表現力」自体は下がっていると最近思うようになった。
画質や画素のハードスペックは目を見張るばかりになった。
ジュラシックパーク以来のCGは、どんどんリアルになった。
テレビはハイビジョンになった。
今の映像に慣れると、
ほんの数年前のCGや4:3のテレビが、物凄く古臭く見える。
昭和ぐらい昔に感じてしまう。
(ハイビジョンのテレビでDVDを見る酷さよ。
VHSの3倍モードはどれぐらい酷いだろう。
でも意外とつべの圧縮されまくった動画のほうがスペックは低いんだけどね)
が、それらはすべて、「フォトリアリスティック」という範囲であることに注意しよう。
写真が登場したとき、絵はいらないじゃん、
という論調があった筈だ。
リアルな絵は、いらなくなったのだ。
「リアルな記録」というような意味合いが、
フォトリアリスティックということだ。
絵はリアルな記録を捨てて、
粗い絵のよさ、水彩のラフさ、印象派的なもの、北斎的なもの、
デッサン的ではない個性的な絵、現実にはない色使い、
など写真で表現できないことを絵という「表現」ということにした。
だから絵師に求められることは、
正確に写真のようにかくことではなく、
出来るだけ個性的ないい絵をかくことである。
これとは逆に、最近の漫画の絵柄が、どんどんフォトリアリスティックに傾いている。
ハイパーリアリズムならまだしも、
浅野いにおみたいに、デジカメから背景を起こすような感じの絵柄が増え、
巨人の星とかキューティーハニーとか北斗の拳のような絵がなくなってしまった。
大友克洋だって松本大洋だって、フォトリアリスティックではない、
新たな絵の感覚を構築してきたはずだ。
個性的な絵とは、
デフォルメのことだと思う。
現実をデッサン的に正確に書くのではなく、
その印象を強調したり、何かを省略してかく。
つまり、主観的な目でかく。
何を残して何を捨てるかが、デフォルメである。
古典的な少女マンガの目が大きくてキラキラしているのは、
人体の正確なデッサンではなく、
願望というデフォルメだ。
フォトリアリスティックと、デフォルメは、対照的な概念である。
個性的な絵の漫画家が生まれないのも、
同じようなCGばかりになってちょっと飽きてきたのも、
デジタルの発達が原因だと思う。
画素が細かければ細かいほど、
デフォルメの効いた世界が、フォトリアリスティックに負ける気がする。
たとえば着ぐるみは、
ハイビジョン時代には人を騙しきれない。
中に人が入っている前提のリアリティー、
例えばふなっしーのように、
フォトリアリスティックな存在でない限り、
ハイビジョンでは存在できない。
デジタル作業環境が拍車をかける。
トレース前提のえづくりは、
デフォルメの介入の余地をなくしていく。
CGドラえもんが不気味なのは、
デフォルメされた線をフォトリアリスティックに描くからだ。
先日、美大出身の後輩と話していて、
「デッサンは面で描く」という今まで知らなかった事を知った。
僕はずっと漫画家絵柄ひとすじだから、
「線で書く」ことしか出来ない。
(だからクロッキーは得意だ)
「線で書く」漫画的な方法論は、
つまりは強調と省略を瞬時にこなしていることだ。
現実のフォトリアリスティックには線は引いていないからだ。
北斎以来の日本の伝統技法、「線で書く」のは、
どうやら西洋の伝統的方法論にはないらしい。
言うまでもなく、CG先進国はアメリカだが、
面で描くフォトリアリスティックばかりをやっているのではないか。
また別の後輩と、
ハリウッドデザインの怪獣はなんか面白くないのは何でだろう、
なんで成田亨みたいにならないんだろう、
という話をしていて、
日本のデザイナーは、面ではなく線で書いていて、
外人デザイナーは、面で描くようにしているからではないか、
という仮説を出してみた。
ある種のデフォルメが、日本の怪獣デザインにあるのではないか。
ハリウッド怪獣の似顔絵が漫画的にかけず、
日本の怪獣(ゴジラやバルタン星人)が漫画的似顔絵がかけるのは、
面と線の違いではないか。
それはつまり、デフォルメの差ではないか。
デジタルのリアルな絵は、
あくまでフォトリアリスティック、面の延長でしかない。
次世代の表現は、線のデッサンのCG、
つまりデフォルメベースの表現から出てくるのではないだろうか。
画素が増えたことでリアルにはなったが、
キャラが立たなくなった。
仮面ライダーのような、シンプルで強いデザインは、
画素の少ない、デフォルメの中から生まれるのではないか。
それは、デジタル環境からは一生生まれない気がする。
デジタルとは、全ての論理的ピクセルをコントロールすることで、
曖昧な感じを許さないからだ。
大体あってればいい、ということと相性が悪い。
それは、デフォルメそのものだ。
デジタルは人を幸せにしない。
結果的に、デフォルメという豊かな表現を奪っている。
2014年05月13日
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