2014年05月17日

おはなしの原型3:第三者

おはなしとは、
時と場所を特定し、
登場人物を使って、
事件とオチを語ることである。

これは僕の仮説だ。

さて、僕の興味は映画のことだから、
ここから映画に寄せていく。

自分の体験談を誰かに話すという「おはなしの原型」では、
主人公は話者である。
これが、話者ではない「誰か他の人の話」になるのが映画だ。


話者を第一者とすれば、第三者の話が映画の構造だ。

話者が誰かに話している原型の場面では、
話者が主人公ではない、第三者の話とは、
二人の知っている○○さんの実話や噂のパターンが多いだろう。
二人の知っている○○さんなら、イメージしやすいからだ。

まだこれは映画ではない。
映画とは、この例でたとえるなら、
二人の共通の知人ではない、△△さんが主人公のことだ。
「こないだ△△さんという人にあった事件とオチ」
のことなのである。


仮に話者が△△さんをよく知っていても、
聞き手が知らないことを前提とする。
これで面白い話には、ふたとおりある。
△△さんがどんな人であろうが、事件とオチが面白い話。
△△さんが既に面白くて、それにちゃんと説明を割いて、
△△さんならではの事件とオチがある話。

前者をプロット重視型、
後者をキャラ重視型の映画と考えることができる。
前者は単発もの、
後者はシリーズものに向く。

いずれにせよ、
聞き手が知らない人の話に興味を持つのは、
事件が面白いときか、
その人自身が面白いときだ。


感情移入には二種類ある。
前者の主人公には、シチュエーションへの興味がその後を知りたいと思わせる。
後者の主人公には、好きになったその人のリアクションへの興味だ。
両方があることが理想だ。
ただ、いきなり両方は難しい。
前者を先行させておいて、
いつの間にか後者になっているのが、感情移入の理想である。

感情移入は何故必要か。
興味の維持のためだ。
誰か知らない人の話を聞き続けるのは、
内容に興味があるからだ。(興味がなくなれば、スマホをいじり出すだろう)


逆にいうと、今リアルに目の前にいる話者自身の話でない、
全く知らない第三者の話に興味を引き続けるためには、
感情移入が不可欠なのだ。
(それにはどうすればいいかは、結構たくさん書いた)

何度も何度も、「主人公=自分はダメ」と言っているのは、
この第三者の話のことも言おうとしている。


映画は舞台芸術から出発した。
いずれも役者という第三者が、物語の主人公を演じるものである。
話者の体験談ではない。
(実はね、こんなことがあったんですよ、とカメラに向けて話すことはない。
演劇ではたまにあるかも)
三人称視点文学とは、このような意味のことだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック