2014年05月20日

ガワは才、中身は能

繰り返して議論している、ガワと中身の話。
才能というものがあるとすると、
ガワは才能のうち才の方、つまり天賦のヒラメキであり、
鍛えることは出来ない。
中身は才能のうち能の方、つまり理論的であり、
伸ばすことの出来るものだ、
と僕は思う。


キャラクターやシチュエーションの面白さ、
一言の台詞の強烈さ、
一瞬の燃え上がり、スパーク、時代との同期、
斬新さ、アイデア、華は、
点のものであり、センスである。

これは、人から習うことが出来ない。
いつか天から降ってくるのを待つか、
誰かのをパクるか、
今までのものを組み合わせて新規性を出すかだ。
(ペプシ桃太郎は、後者ふたつだ。
すんげえカッコイイ桃太郎という精神と、
ターセム他と組み合わせる、という肉体をもつアイデアである)


一方、
ストーリーの面白さ、充実したおはなし、展開の面白さ、
時間を忘れる没頭、オチの満足感、テーマの素晴らしさ、
主人公と脇の対比のよさ、感情移入とカタルシス、
などは線のものであり、能力である。

これらはある程度理論化することが可能で、
学習できる。
失敗や試行錯誤から学ぶことが出来、
パズルのような最適解がある。

僕は主に後者について書いている。
ここは書くことができる理論の部分で、
前者は感覚的なところだ。
感覚を鍛えるには、いいものや新しいものに触れ続けることで、
理論を鍛えるには、試行錯誤や客観性や古典の研究が必要だ。


僕は絵がうまかったので、
昔から漫画をかいていた。
「漫画家の才能がある」とよく言われた。
あるかないかで言えば、ある方なのだろうが、
僕は漫画家の才能のうち才に欠けている気がしていた。
能はある(絵を描ける、話をつくれる)とは思うのだが。
脚本家や監督としての才能は、上の方だとは思うが、
一番かどうかは分からない。
運も左右するし、時代が保守的で新しい監督に仕事が回らない。


エジソンは、才と能のバランスは、1:99だと言う。
僕は1:9と書いた。

世の中は、目立つ方の才を追う。(だから一発屋が量産される)
才能は、バランスよく鍛えたいものだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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