2014年05月24日

センタークエスチョンの提示

面白くない話は、これが下手だ。
「何のためにこれをしているのか分からない」
がしばらく続くような話が代表的だ。


センタークエスチョンとは、
主人公の最終目的のことだ。
○○はクリア出来るか?という問いの形で煽られる。

この形の問いは、無意識的に映画中何回でも意識される。★

ジオン軍を倒せるか?
シャアを倒せるか?
戦争は終わるのか?
なぜ人は理解しあえないのか?
ニュータイプとは何か?
ジャブロー基地へたどり着けるか?
フラウは誰が好きなのか?
ガンダムは誰が一番うまく乗れるのか?

などが機動戦士ガンダムの中では問われる。
誰かが聞くこともあるし、問いの形ではないが焦点として暗示されることもある。
この中で、ジオン軍を倒せるか?または、戦争は終わるのか?が、
センタークエスチョンである。

センタークエスチョンは、
「これにイエスと答えが出たら物語は終わり」というものである。
主人公アムロが、これに向かって自覚的に生きているかは、
怪しいものだ。それよりも日々の戦闘のことが関心ごと(焦点)である。
が、このセンタークエスチョンにイエスと答えが出る瞬間のために、
日々の戦闘があることは自覚的で確実だ。
この大枠が、センタークエスチョンである。


お話は、話されている途中から、
既にセンタークエスチョンが意識されなければ、面白くない。
この話はどこへ向かうのだろうという不安と、
この話はここに向かって大枠動いているという安心とが、
同居していなければならない。

ガンダムの例でいえば、
それざれの小さな問いを抱えながらも、
大きくは戦争終結に向けて向かっていることは、
誰もが理解している。登場人物も、作者も、観客も。

だから安心して見れるのである。
見るときの軸足が決まるのだ。
ここにたどり着けばオシマイ、という腰が座った上で、
小さな問いや不安(焦点)を楽しめるのである。



センタークエスチョンは、何回提示されても構わない。
いきなり冒頭の場合もある。
(オープニングでラスボス登場、殺人事件が起こる、恋の相手と出会う、
過去の約束のシーンからはじまる、トラウマの場面からはじまる、など)
大抵は、事件が起こり、それをあれこれしているうちに更に大問題が背後にあることが分かり、
それがセンタークエスチョンとなるパターンだ。
映画では、そこまでに30分をかける。

ガンダムでは、アムロの日常が戦争に巻き込まれ、
偶然ガンダムで撃退することで、ホワイトベース難民へ強制参加となってしまう。
巻き込まれ型の物語だ。
難民生活を終わらせ、日常へ帰還することが当初のアムロの目的である。
しかし次々に非戦闘員が下船していく中、
ホワイトベース自体は連邦の戦闘作戦の参加を要請される。
アムロ達に拒否権はない。ブライトさんは上に抗議した。
しかしどこにいても戦争に巻き込まれるのは同じだ。
戦争が終わらない限り、日常は戻らない。
ホワイトベースの戦闘参加という形で、
センタークエスチョン「戦争終結」が決定的となる。
(実際のところ、ここまで明示されていない。なんだか流されていくだけである。
大気圏突入でジオン軍領域に侵入してジャブローにたどり着くまでは、
生存自体がホワイトベースの目的になっている。
しかしながら、戦争終結が戦争ものの最終目的であることは、
誰もが理解できる)
このような大枠の、明示または暗示が、
ストーリーテラーには必要だ。

何故なら、どこへ向かっているのか全く分からない不安に、
人は30分もつきあってくれないからだ。

何かが起こるたび、
今注目していなければならないこと(焦点)が変わる。
それは全体の大枠の文脈でとらえなければならない。

「ザク三機が襲ってきた」ことへの対処が焦点、
その中にあの赤い奴がいる、ことがアムロの個人的興味、
ホワイトベースの生き残りが当面の目標、
戦争終結がセンタークエスチョンである。

このように、ザク三機襲来という事件に際して、
同時にいくつもの層の目的が想起されるのだ。



センタークエスチョンが一度明らかになれば、
あとは、それに向かって色んなことが起こる。
お楽しみポイントだ。
ようやく物語は本編に入るのだ。

ガンダムで言えば、ガルマやランバラルの登場だ。
この中でもセンタークエスチョンは何度も意識される。
我々は何のために闘うのか、が。
リュウの死、ラルの特攻、ミハルのサブプロット、
ガルマの死、アムロの母のサブプロット、
黒い三連星とマチルダさんへの恋などが、
センタークエスチョン、メインプロットとの対比で語られて行く。
そのたびに、戦争はいつ終わるのかが、問われていく。

センタークエスチョンはいつでも、何回でも提示してよい。
改めて問われてもいい。
その条件が時々変わっていってもよい。
(ガンダムでは、ジャブロー到着で下船という選択肢もあった。
しかし再び宇宙へ旅立つ。ソロモン、ア・バオアクーの砦に向けて作戦が動いているからだ)

映画では、
少なくとも二回、センタークエスチョンが提示される。
第一ターニングポイントと、第二ターニングポイントだ。
(ガンダムの場合、第一ターニングポイントは大気圏突入、
第二ターニングポイントはララァの死後、ア・バオアクーが見えた時だ)

それぞれのターニングポイントで、
センタークエスチョンは変わっていないが、
主人公の置かれた環境や、行動の末の文脈が加わっている。

この二つのターニングポイントを置くことが、
映画における三幕構造のキモだと思う。★


あなたの物語のセンタークエスチョンは何か。
何が達成されれば物語は終わりか。
その解決の瞬間はどのようになされるか。
そこにどんな感動やカタルシスがあるだろうか。
(ガンダムでは、ア・バオアクーを陥落させ、脱出するところだ。
「僕には帰るところがある」シーンである。
十五少年漂流記を元にしたこの物語は、ホームの獲得がカタルシスである。
この闘いで戦況はかわり、戦争終結へと至る)


ガンダムのような壮大な話でも、
「こないだ先生がヅラ忘れてきた」ような日常の小さな話でも、
「センタークエスチョンの提示」の原則は同じだ。

センタークエスチョンの提示(暗示)は、
オチへの予測といってもよい。
オチが詰まらない話は、
センタークエスチョンの提示(暗示)が下手である。



ちなみに、今回の話の第一ターニングポイントと
第二ターニングポイントの終わりに、
★をつけたので参考にされたい。
今回のセンタークエスチョンは、「センタークエスチョンの提示」と、
タイトルに既にあるのである。
posted by おおおかとしひこ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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