2014年05月30日

ストーリーの4要素

プロット、オチ、シチュエーション、テーマ。


プロットとは線のことだ。
シチュエーションとは点のことだ。
点だけではストーリーではない。
点の集まりだけでも、それは途切れた点の集合であって、
線ではない。(例:予告編)

線になるには、
点と点の間に、因果関係が必要だ。
AがBになったのは何故か、が因果関係だ。
Aがあり、次に○○という理由でBになる。
Bは○○という理由でCになる…が線である。
A、B、C…は、ある時点での登場人物や場所と小道具で表現される、
ひとつのシチュエーションである。

線の面白さは、展開の面白さだ。
因果関係で結ばれた線が、
この先どうなってしまうのか、という予断を許さない面白さだ。
危険を伴うほうがいい。
リスクや不安定は、予断を許さないことに、劇的に作用する。

シチュエーションは面白いものがいい。
そしてプロットも面白いのがいい。
ひとつの点が面白くても、
線が面白くないと意味がない。
線の面白さは、点の集まり(予告編)とは質の違うものだ。

あまり面白くない点(ありふれた日常の範囲内)であったとしても、
面白い線であることは、ありえる。
地味な日常ドラマでも、すごくいいものは沢山ある。
小津映画、名作ドラマ、すべらない話(オモシロシチュエーションに頼らないパターンで)など。


線はずっと続き、その終点がオチだ。
オチは、ああ、うまく終わった、というのが面白いオチだ。
オチがないと、線はうまく終われない。
すとんといくのが、伝統的な「おあとがよろしいようで」である。
(落語は、途中の面白さよりも、ここを命としている節がある。
漫才やコントは爆笑をオチとするが、落語のオチは粋を求める傾向にある)

線があるのは、たいてい問題の解決のためだから、
それがうまく(面白く)解決するのが、面白いオチだ。


これらが、なんのためにあるのか、をテーマという。
ただ面白いストーリーでした、
では、千一夜のヨタ話と変わらない。
そのストーリーがはっきりとしたテーマを持ったとき、
そのストーリーは、「意味のある」話になる。

意味のない話を、エンタメなどといって誤魔化す。
面白かったんだからそれでいいでしょ?という開き直りだ。

が、実際のところ、
人は新しい経験をストーリーの中でしたい。
経験は、教訓や学習として蓄積されるものである。
だからテーマは、教訓や学びや発見、結論の形で語られるべきだ。

テーマなきストーリーは、飲み屋の話、きのうあったこと、
など、明日には消えてなくなる話である。
よほど面白い出来の話は、完成度という記憶で残る。
もっと残るのは、テーマがきちんとある話だ。
テーマは、その線を、最終的に「点として記憶する」タグの役割をする。

全ての点と線、オチが、テーマのためにうまく配置されているものが、
出来のいい話である。
出来の良くない話は、無駄があったり、不足があったり、
何かは面白いけど最終的に面白くない、いびつな形をしている。

点でひきつけ、線というプロットが面白く、オチが決まり、
テーマが全てに内包されていること。

これが理想の、よいストーリーだ。




変形版はいくつかある。

テーマやオチがないものは、怪談である。
腑に落ちない怖さが、正体の知れない怪談話に最適だ。
怖さではなく、シュールさにいくと、不条理ものになる。
怪談と不条理は、起こす感情の違いで、構造は同一である。

シチュエーションが平凡なものは、日常ドラマという。
特に変わったシチュエーションでなくとも、
面白い話はつくれるが、地味なのであまり話題に上らない。
男はつらいよとかもこのジャンルかも知れない。
山田洋次、小津安次郎、松竹の伝統かも知れない。

シチュエーションだけ面白くて、
プロットの面白さがないものは、
予告詐欺である。
ペプシ桃太郎は、この構造だ。(ゆえに批判を続けている)
群像劇がこれになりやすい。
シチュエーションは思いついても、話を面白くする実力がないから、
別のシチュエーションに逃げて、
以下繰り返し→全てにクリスマスが来る、などの大きい
(ビッグビジュアル)オチで誤魔化す、
というパターンで誤魔化す。
(僕のワースト映画のひとつ、「survive style 5+」はこの典型。
ラストは空を飛ぶ)

或いは、若い美男美女の美しい姿が最高の形で記録される、
のも点の良さである。
例えば「バタ足金魚」は、16歳の高岡早紀の可愛さだけで、
僕の記憶に強烈に残っている。
人が恋をする生き物である以上当然だが、
これはストーリーの良さとは無関係である。

この災いを招きやすいから、派手なシチュエーションは、
ストーリーにとって劇薬である。
上手く作用すれば人目をひく素敵なものになる。
下手に使えばストーリーもテーマもオチもない、派手なだけのものになる。




そして、テーマは「言いたいこと」ではない。
全ての話の要素が、それに従っているだけである。

作者の主張とテーマは、一致してもいいし、
多くはそのように受け止められるが、
面白いことに必要な構造、という必然から生まれた構造なので、
作者が真剣に思っていないことですら、テーマに据えることは可能だ。
(そして、その方がテーマに対する客観性を持ち得るため、
上手くいく。テーマ=主張だと、周りが見えない危険が高い)

嫌々テーマを設定する必要はないが、書いてて面白い程度の、
距離を保ったテーマを探すとよいだろう。

テーマは、人類の集合的無意識に引っ掛かると、ヒットする。
個人的主張がヒットしないのは、その主張と集合的無意識が異なるからだ。
個人的主張と集合的無意識が一致するのが、時代とシンクロしているということだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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