2014年06月14日

知的体力

知性にも体力がある。
文章を書かない人には、なんのこっちゃと思われるかもしれない。

知的体力とは、
「冴えた頭をどれだけ長い間維持できるか」
という能力だ。

ためしに、原稿用紙何枚くらいまで、
体験談でも思うことでも創作でも題材はなんでもよい、
「自由に書け」という作文が書けるだろうか。

10枚ぐらいなら、下書きなしでもすぐ書ける。
最低、脚本を書くにはそれぐらいの基礎体力は必要だ。


ぱっと、今書けと言われて書けない者は、
知力の基礎体力が低い。
普段走り込みを怠っている。

普段考えたり、ネタを拾っていない証拠だ。
今すぐ一冊の手帳を持ち歩きたまえ。
デジタルは禁止。
手書きで書き込んでいくこと。
ネタ帳だ。
今日面白いと思ったこと、調べようと思ったこと、
調べたことのメモ、考えたこと、面白かった人の話、
脚本論について考えること、
などなどを、日々書く。
ただ書いていくだけではダメ。
数十ページを越えた辺りから、あることとあることが繋がるようになってくる。
関連だ。膨大な海の中に島ができる。
とはいえ即それが何かになるわけではない。
しかし、一見ランダムに思えるメモが、
自己組織化をはじめていく。

頭のいい人の頭の中はこうなっている。
知識は点ではない。系として存在する。
理系の人なら、数学や物理学はそういうものだからイメージしやすいかも知れない。
「面白いこと」でもそれは同じなのだ。
数学ほどの体系はないが、それでも、
芋づる式に何かと何かは繋がっていく。


僕が手書きのネタ帳を勧めるのは、
デジタル(Evernoteなど)では、
これらのネットワークが出来ないからだ。
どうとでもレイアウトでき、書き込め、なんなら清書したりして、
系としてのネタを整理するのは、手書きが一番脳に近い。

だからデジタルでメモを取る人は、本人には言わないが、
僕は頭が悪い人だと認識している。
その先のネタの自己組織化に至るまで、
知的体力を使っていない人だと認識する。


原稿用紙10枚くらい、
普段こんなことをしていれば、
咄嗟に何でも書ける。
僕は時々後輩に「ハイ、面白い話をして」といきなり振ることがある。
それで面白い話がちょいちょい出てくるやつは、
才能があると思う。
普段から「面白いこと」についての、
脳のネタ帳を整理しているということだからだ。

逆に、すぐ出ないのなら、
依頼を受けてから考えなければならないことになる。
それじゃあ一生かかる。

プロの生き方は、
普段からネタを持っていて、
仕事が来たら咄嗟に10枚ぐらい書くことだ。
(よく考えてみると、このブログも脚本についての思い付きを毎日書いている。
それは、僕の頭の中の整理でもある)
複数企画を出して、どれにしようか、というのは当たり前だ。


普段のこのような走り込みだけでなく、
いざ大作にかかるときの知的体力は、
経験することでしか得られない。
映画脚本は、原稿用紙120枚前後である。
(90分映画なら90枚程度だけど)
10枚の世界ではない。

一端書き終えたもののリライトは、
さらに知的体力を必要とする。
頭の中でストーリー構造を組み換え、
現状より良くなったかどうか判断してからでないと、
リライトには取りかかれない。
全体像を把握する知的体力、
部分部分を継続的に調べて行く知的体力などは、
膨大なものを必要とされる。

僕は昔書いた脚本で、夫婦の話だったのだが、
夫主役から妻主役にリライトしたことがある。
感情移入は真逆になるし、どちらから見て切ないかなどは、
書く前から判断しないと膨大な無駄になる。
それをまるまるやりきるには、知的体力がないと息が切れてしまう。


あなたは一日何時間ぐらい、
頭をフル回転させてられるか。
例えば、京大や東大の入試は、数学の試験が二時間半ある。
それだけ数学に集中しても、なお時間が足りない場合もある。
作家は、一日6時間から8時間、毎日執筆し続ける人生だ。
一日数時間しか頭が持たないなら、それは知的体力が足りない。

知的体力を鍛えるには、
肉体と同じやり方しか、経験的にない。
つまり、限界一杯までをやり、その後超回復することだ。
これ以上考えられない量と深さへたどり着き、
これ以上思いつけないほど、頭の中のネタを全部出しきり、
気を失うまで考えたあとは、寝て回復する。
その繰り返しだけが、
知的体力を上げる唯一の方法である。

アマチュア物書きだと、
一日一時間とか、それぐらいしか取れないかも知れない。
それでは永遠に考えの足りないものしか書けない。
プロは、毎日毎日8時間ぐらい、週5か6で、集中して考えている。
知的体力が、圧倒的に違うのだ。


若いうちに、
段ボール二箱企画を書け、というCM業界の言い伝えや、
身長分書いてやっと一人前、という脚本業界の言い伝えは、
そのぐらいのトレーニングで、
ようやく自活出来る程度の知的体力を鍛えられる、
という意味があると思う。

継続的な思考と集中力。
知的体力と言われてピンと来ない人は、
多分限界を一度も見たことのない、
生まれたままの体の、トレーニング経験のない素人かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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