知性にも体力がある。
文章を書かない人には、なんのこっちゃと思われるかもしれない。
知的体力とは、
「冴えた頭をどれだけ長い間維持できるか」
という能力だ。
ためしに、原稿用紙何枚くらいまで、
体験談でも思うことでも創作でも題材はなんでもよい、
「自由に書け」という作文が書けるだろうか。
10枚ぐらいなら、下書きなしでもすぐ書ける。
最低、脚本を書くにはそれぐらいの基礎体力は必要だ。
ぱっと、今書けと言われて書けない者は、
知力の基礎体力が低い。
普段走り込みを怠っている。
普段考えたり、ネタを拾っていない証拠だ。
今すぐ一冊の手帳を持ち歩きたまえ。
デジタルは禁止。
手書きで書き込んでいくこと。
ネタ帳だ。
今日面白いと思ったこと、調べようと思ったこと、
調べたことのメモ、考えたこと、面白かった人の話、
脚本論について考えること、
などなどを、日々書く。
ただ書いていくだけではダメ。
数十ページを越えた辺りから、あることとあることが繋がるようになってくる。
関連だ。膨大な海の中に島ができる。
とはいえ即それが何かになるわけではない。
しかし、一見ランダムに思えるメモが、
自己組織化をはじめていく。
頭のいい人の頭の中はこうなっている。
知識は点ではない。系として存在する。
理系の人なら、数学や物理学はそういうものだからイメージしやすいかも知れない。
「面白いこと」でもそれは同じなのだ。
数学ほどの体系はないが、それでも、
芋づる式に何かと何かは繋がっていく。
僕が手書きのネタ帳を勧めるのは、
デジタル(Evernoteなど)では、
これらのネットワークが出来ないからだ。
どうとでもレイアウトでき、書き込め、なんなら清書したりして、
系としてのネタを整理するのは、手書きが一番脳に近い。
だからデジタルでメモを取る人は、本人には言わないが、
僕は頭が悪い人だと認識している。
その先のネタの自己組織化に至るまで、
知的体力を使っていない人だと認識する。
原稿用紙10枚くらい、
普段こんなことをしていれば、
咄嗟に何でも書ける。
僕は時々後輩に「ハイ、面白い話をして」といきなり振ることがある。
それで面白い話がちょいちょい出てくるやつは、
才能があると思う。
普段から「面白いこと」についての、
脳のネタ帳を整理しているということだからだ。
逆に、すぐ出ないのなら、
依頼を受けてから考えなければならないことになる。
それじゃあ一生かかる。
プロの生き方は、
普段からネタを持っていて、
仕事が来たら咄嗟に10枚ぐらい書くことだ。
(よく考えてみると、このブログも脚本についての思い付きを毎日書いている。
それは、僕の頭の中の整理でもある)
複数企画を出して、どれにしようか、というのは当たり前だ。
普段のこのような走り込みだけでなく、
いざ大作にかかるときの知的体力は、
経験することでしか得られない。
映画脚本は、原稿用紙120枚前後である。
(90分映画なら90枚程度だけど)
10枚の世界ではない。
一端書き終えたもののリライトは、
さらに知的体力を必要とする。
頭の中でストーリー構造を組み換え、
現状より良くなったかどうか判断してからでないと、
リライトには取りかかれない。
全体像を把握する知的体力、
部分部分を継続的に調べて行く知的体力などは、
膨大なものを必要とされる。
僕は昔書いた脚本で、夫婦の話だったのだが、
夫主役から妻主役にリライトしたことがある。
感情移入は真逆になるし、どちらから見て切ないかなどは、
書く前から判断しないと膨大な無駄になる。
それをまるまるやりきるには、知的体力がないと息が切れてしまう。
あなたは一日何時間ぐらい、
頭をフル回転させてられるか。
例えば、京大や東大の入試は、数学の試験が二時間半ある。
それだけ数学に集中しても、なお時間が足りない場合もある。
作家は、一日6時間から8時間、毎日執筆し続ける人生だ。
一日数時間しか頭が持たないなら、それは知的体力が足りない。
知的体力を鍛えるには、
肉体と同じやり方しか、経験的にない。
つまり、限界一杯までをやり、その後超回復することだ。
これ以上考えられない量と深さへたどり着き、
これ以上思いつけないほど、頭の中のネタを全部出しきり、
気を失うまで考えたあとは、寝て回復する。
その繰り返しだけが、
知的体力を上げる唯一の方法である。
アマチュア物書きだと、
一日一時間とか、それぐらいしか取れないかも知れない。
それでは永遠に考えの足りないものしか書けない。
プロは、毎日毎日8時間ぐらい、週5か6で、集中して考えている。
知的体力が、圧倒的に違うのだ。
若いうちに、
段ボール二箱企画を書け、というCM業界の言い伝えや、
身長分書いてやっと一人前、という脚本業界の言い伝えは、
そのぐらいのトレーニングで、
ようやく自活出来る程度の知的体力を鍛えられる、
という意味があると思う。
継続的な思考と集中力。
知的体力と言われてピンと来ない人は、
多分限界を一度も見たことのない、
生まれたままの体の、トレーニング経験のない素人かも知れない。
2014年06月14日
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