アナ関連で、見れていなかったラプンツェルを見たときに思ったこと。
僕は、邦題を「魔法の髪のラプンツェル」とすべきだと思う。
タイトルには何が必要か、という話。
タイトルのつけかたにルールはない。
極端な話売れればいい、として、原題をねじ曲げる邦題はいくつもあるし、
そうやったとしてヒットしたかどうかの検証は、
そうでなかった場合と比較できないため不可能だ。
だから、邦題というのは、
ある意味無法地帯だ。
原題のニュアンスをうまく変換することが至上命題だと思うが、
原題のニュアンスを再現せずに別の邦題をつけたことで化けた映画も、
あることはあると思う。
(ここで豊富な例を出したいのだが、ちょっと思い出せない。
「欲望という名の電車」は、意外にも原題a train named Desireの直訳だ)
原題に敬意を表しながら、
なおかつ日本語タイトルとしても素晴らしいものをつけるのが、
配給会社に課せられた使命だと思う。
その日本語力が最近低下している気がする。
塔の上のラプンツェルの原題は、「ラプンツェル」だ。
(6/22追記:公開版はtangledだそうだ。
僕が見たDVD版ではラプンツェルだったので、以下そのまま)
主人公の名をタイトルにすることは、
日本よりハリウッドに沢山例がある。
「ロッキー」ぐらいの名作から、
「ゾディアック」「ベンジャミン・バトン」ぐらいの内容が想像出来ないものまで、
様々なものがある。
ラプンツェルという発音しにくい、
それ故アメリカ的にはエキゾチックな響きの、
このタイトルのニュアンスは日本語では伝わらないから、
邦題をつけなおすことには賛成だ。
○○のラプンツェル、のような原題に修飾語句をつける、
原題を大事にした姿勢も好感がもてる。
が、塔の上のラプンツェルが、正解だとは思えない。
風の谷のナウシカと同じく、
これは住んでいる場所と名前のパターンだ。
寝屋川の川嶋さんと同じだ。
この「塔の上の」にはふたつの欠点がある。
最も問題なのが、住んでいる場所が、ヒロインのキャラを物語っていないことだ。
たしかに特異な場所に閉じ込められ、
そこから外界へ出る話であり、
母との確執、娘の独立を描いた主軸ではあり、
そのビジュアル的象徴(イコン)ではある。
しかし、「母と娘の対立」は、ディズニー的には新しいのかも知れないが、
どこのドラマにも見られる、ごく普通の要素だ。
それを殊更にイコン化するのに、
塔がそこまで機能しないと思う。
第二の問題を先に片づける。
日本人にとっての塔は、西洋文化における塔ほどの象徴的意味がない。
まず、塔が「城にある幽閉する場所」というイメージがない。
プリンセスオブタワーは、「閉じ込められた姫」の意味であり、
塔を自在に操れる姫ではない。
あえて日本語に訳すなら「牢屋姫」である。
この時点で「塔」という言葉のチョイスは間違いだ。
牢屋を象徴出来ない。
ちなみに、塔にはバベル神話の象徴もある。
塔は傲慢の象徴であり、いつか崩されるものの象徴でもある。
この象徴が、塔の上の、に込められたことは読解出来るが、
「囚われの」の象徴が機能しない以上、
塔の上、はその意図ほどに機能しない。
「囚われのラプンツェル」が、
ポピュラーすぎる「幽閉された姫」の意味で、
面白くないのだ。
幽閉ものや投獄もので、「鉄仮面」ぐらいキャラの立つタイトルなら、
あり得たかも知れないが。
「若くいたい母による偽りの幽閉もの」を、
ごく短い言葉で象徴できれば、あり得たかも知れない。
(6/22追記:公開版原題tangledは、母とのもつれと、髪のもつれをかけた言葉だ)
元に戻る。
囚われの姫が、ヒロインの特質を一番示しているか。
主人公の特質は、一般に二種類であらわすことができる。
逆境と、それを乗り越える力(または動機)だ。
ネガとポジといってもよい。
ネガに属するのが、「若くいたい母による偽りの幽閉」であり、
それを塔の上の、に込めたつもりなのだろう。
ところがだ。このヒロインにはもっと分かりやすいポジがあるではないか。
髪である。
これがヒロインのキャラを立てる、一番のイコンの筈だ。
今回のヒロイン、ラプンツェルは、
何が今までのヒロインと違うの?と問うてみればいい。
幽閉された姫?それは状況設定だろう。
彼女自身を象徴するのは、
見た目的にも、彼女自身の運命的にも、CGの売り的にも、
黄金に輝く、不思議な花の性質をもった、髪である。
少なくとも、映画のなかでは、
彼女の本質を髪で描くことに特化している。
髪を武器にすること、
一方で髪の力を他人に見せることへの恐れ、
その場面が訪れることが秘密の共有=恋の始まりであることに、
髪を機能させている。
邦題をつけた馬鹿は、この物語の構造を、
把握してなかったらしい。
だから、
見た目の「塔の上の」を選んだのだ。
髪、だけではいまいちなので、
ディズニー的なきらびやかな修飾語をつけ、
魔法の髪のラプンツェル、というタイトルは素敵でポジで、
ヒロインの本質を象徴していると思う。
(物語のなかでは、その力を更に金色の花で象徴している。
そこまで邦題で行ければベストだろう。今は思いつかない)
タイトルは、作品の本質を象徴しなければならない。
象徴というのは、絵を浮かばせることだ。
この作品の本質は、塔の上ではない。
魔法の髪だと思う。
つまり、邦題をつける人には、
このように、作品の本質の脚本的読解力と、
それをキャッチコピー的に表現する表現力の、
両方が必要なのだ。
少なくとも、「塔の上のラプンツェル」には、その才能は足りないと感じた。
東日本大震災時期公開という不幸にあった作品だが
(しかも水ぜめのシーンあり)、
公開時期よりも、邦題に問題があった作品だと考える。
作品的には、
アナよりもディズニー的なウェルメイド王道映画であった。
それをヒットさせられないのは、配給宣伝に問題があると思う。
読解力と表現力が、足りないと思う。
2014年06月18日
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