2014年06月18日

見た目だけで本質が伴っていない例

僕がデザイナーとしては好きな人で、
監督として大嫌いな人に、雨宮慶太という人がいる。

僕は特撮専門誌「宇宙船」の読者でもあったから、
「巨獣特捜ジャスピオン」以前から氏のデザインのファンだ。
(宇宙刑事を雨宮が継ぐ!と興奮したが、出来は…)
鴉も見たし、帝都も見たし、タオの月も見たし、
ハカイダーもミカヅキも牙狼も見ている。
先日ゴウライガンの第一話を某所特撮バーで見て、
結局氏の才能は見た目のデザインであり、物語にはないことを、
改めて確信した。


問題は、関連商売が膨れ上がってきて、
デザインや世界観優先になり、
物語の成功が優先されていないことだと思う。

関連商売とは、キャラクター商品の発売、
関連グッズの発売である。

これをはじめたのは、
僕の知る限りはジョージ・ルーカスが最初だ。
彼は作品の微々たる権利をスタジオに譲渡する代わりに、
キャラクター権を得る取引をした。
映画そのものより、
スターウォーズのフィギュアやキャラクターグッズを売って儲ける商売をはじめたのだ。
彼は映画監督としての収入より、
キャラクター権を持つ人として大金持ちになった人だ。
(実際、映画監督としての腕は、1942、アメリカングラフィティーを見れば、
並程度である。同期にスピルバーグがいたのが不幸かもだが)

グッズは本編より儲かる。
これは今や商売の常識だ。

昔からヒーローものは、スポンサーのオモチャを売るプロモーションフィルムの
役目がある。
ガンダムは作品としては素晴らしいが、スポンサーのクローバーのオモチャが売れず、
打ち切られその後クローバーは倒産した、
実はいわくつきの作品だ。
最近の仮面ライダーは、オモチャの為のデザインに成り下がっていることぐらい、
見ればわかる。

ヒーローものに限らない。
ジャニーズのコンサートで最も稼ぐのは、
CDでもチケットでもなく、グッズの売り上げだ。
(だからジャニーズの写真使用は異常に厳しい。
写真を手に入れられるのは、コンサート会場のみという商売だからだ。
かつては、宣伝ポスターやホームページにすら、
ジャニーズの出演俳優の写真は使えなかった。
いつの頃からか、絵ならOKになり、
私は貝になりたいあたりから、中居くんがポスターに使われ始め、
今ではずいぶんゆるくなってきている)


これらのお金の流れがあるため、
ひとつの作品の周りには、
グッズ関連会社が、最初からセット販売で張りつくことが多い。
(逆に作品がヒットしてから慌ててグッズを作っていては間に合わない)
写真を張りつけたブツ、フィギュア、キャラクター使用ゲームなどだ。

(我らが風魔の小次郎でも、キャラソンCD、アクセサリーグッズ、衣装、ブロマイド、
写真集(結局中止)などの関連商品が用意されていた。
これらはひとつの会社ではつくれないので、
複数の会社、つまり音楽会社、アクセサリー会社、コスプレ会社、出版社などで
集まることになる。これらの共同出資として映像作品の予算が集められる。
これが製作委員会の仕組みだ。
容易に想像出来るとおり、作品の出来を見る前から、各会社が集められ、
予算が組まれるのだ。
これが、原作ものが無くならない理由だ。原作が無いオリジナルに、
出資する音楽会社やアクセサリー会社やグッズ会社はいないのだ。
僕はオリジナル作品を沢山つくるためには、製作委員会方式が癌だと思っている)

さて、
関連商品には、物語そのものは関わらない。
関わるのはキャラのみだ。
キャラの写真、デザイン、せいぜい口癖や名台詞があれば、
物語は「必要ない」。
その要素でグッズをつくるからである。

牙狼は、作品性ではなく、パチンコで火がついた。
無論パチンコに必要なのは、
キャラのビジュアルデザインやポーズや効果音や背景のビジュアル
(これらを世界観という曖昧な言葉で表現する)であり、
物語(動機、事件、主人公、行動、焦点、ターニングポイント、三幕構成、
サブプロット、テーマ、人間的魅力など)ではない。
牙狼は、物語としてはイマイチだが、
デザイン性は抜群だ。
つまり、グッズにして最も映える作品なのだ。
雨宮慶太は、だから一流のデザイナーだ。


グッズの売り上げよりも、本編の売り上げの方が大きいのなら、
こんな主客逆転は起こらないだろう。
しかし本編の売り上げは、中古やデジタルコピーで、
ことごとく安くさせられてゆき、
グッズはそのモノの存在価値があるから、高値で取引される。
本末転倒だと思う。

最近だと「妖怪ウォッチ」がそうだ。
ゲーム主導なので、本編がマンガまたはアニメになるかは微妙だが、
関連グッズの売り上げに必要なのは、
物語ではなくキャラである。
物語は、ここでは軽視されているし、
その出来如何は問われていない。
実際、マンガもアニメも、物語自体は面白くもなんともない。
この空洞がお金を稼ぐのが、
良くも悪くも今のビジネスだ。
僕は物語至上主義なので、このビジネスは悪だと思う。


雨宮慶太は、それにうまく乗っかった人だ。
ゴウライガン第一話を持ち出すまでもなく、
この人の作品は、デザインが素晴らしいのに、話が全然面白くない。

本編を見ずにデザインだけを楽しむ、
即ちグッズだけを買うのが、最も正しい消費者のありかたかも知れない。

しかし、人はよい物語からしか心の栄養を得られないと思う。

僕はそれを目指しているのだが、なかなかうまくいかないようだ。
物語としては完璧と思う風魔の出来すら、
グッズや舞台の売り上げで稼ぎ続けるような、
もっと別の(僕からすればぬるい)ものにすべきだったのではないか、
という答えの出ない後悔をすることもある。
姫子や蘭子は出なくてもいいと判断された舞台版を見れば、
「製作委員会が商売にしようとしたこと」と作品性のズレに、
考えてしまうことが沢山ある。



商売は物語ではなく、見た目で行われている。
これが全ての元凶かも知れない。
しかし今さらそうでなくなることはない。
我々がなすべきことは、
見た目もよく、なおかつ物語としても完璧なものを、
作り続けるしかなさそうだが。
posted by おおおかとしひこ at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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