2014年06月21日

説得力

説得力があるかないかは、
映画の中ではひとつしか基準がない。

「一般的に正解と思われること」が説得力があり、
特殊解には説得力がない。たったこれだけだ。


客観性がない、と作品がよく言われる人は、
そこに注意するとよい。

ある状況下で、人の選択肢や計画に説得力がないのは、
客観性がないからだ。
その状況下だったら「誰もがそうすること(考えること)」
をしないから、客観性がないのである。

「それじゃ詰まらないから独自の展開にする」は間違い。

説得力を欠き、なんだか分からない方向へ行ってしまい、
もっと客観的になりなよ、と言われるものが出来上がる。


誤りはどこか。
その状況下で特殊な選択をしたことではなく、
一般的で平凡な選択が正解、という状況をつくったことが悪いのだ。

どれが正解か分からない、特殊な状況をつくるべきだ。
それならどの選択肢でも等価のものになる。

リスクやリターンはそれぞれ分かっていることが大事だ。
明らかなローリスクハイリターンを上手く除き、
ハイリスクハイリターンとローリスクローリターンを並べたり、
ハイリスクハイリターンだけを並べるようにする。

ここに、人物の事情を加味する(正確には、前振っておく)。

その事情ならばその選択肢を取るだろう、
という予想通りに、その人物はその選択肢をとり、
説得力のある展開になってゆく。


あるいは、誰もがそうすることに、意外な弱点があることが分かれば、
特殊解が説得力をもったものとして逆転することが出来る。
特殊解が何故一般的な正解より勝るのか、
その状況と理由が上手く作れていれば説得力がある。



「あなたがそう描きたいから」というシーンは、
高確率で説得力がない。

説得力とは客観的三人称であり、
「そう描きたい」は一人称の世界だからだ。
独りよがりは、一人称の世界の話である。

試しに、自分の作品の朗読を、
カメラ目線でなく(レンズの横30センチにいる誰かに向けて)、
録画してみるとよい。
その人の言っている話に無理があることに気づければ、
一人称的になっている病巣を特定出来るだろう。

更に試しに、カメラ目線で録画してみるとよい。
無理があるところが、カメラ目線の強さで誤魔化される筈だ。
カメラ目線とは、一人称の世界である。

一人称の世界で成立する「思い込み」は、
三人称の世界(カメラに向かってではなく、誰か他の人に言うこと)では、
全く客観性を欠くことがあることに気づくだろう。

一人称の世界はオナニーだ。
三人称の世界は公開録画だ。
説得力は、三人称の世界の出来事である。
posted by おおおかとしひこ at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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