あることをじっくり描写するのに、
映画では、その外面をなめるように撮る。
表情、風景、アクションのスローモーション。
長回しを使うことが多い。
音楽で気持ちを増幅する。
それによって次になにが起こるか、皆が身構えるように。
あることをじっくり描写するのに、
小説では、内面を書く。
人の心の中の思いを描写する。
なにが起こったかを描写するより、これがなんの意味があるかを描写する。
あることをじっくり描写するのに、
漫画では、大ゴマを使って絵をじっくり描く。
あるいは、コマを沢山使う。
心の声や解説を入れ込むこともある。
あることをじっくり描写するのに、
演劇では役者の力を使いきる。台詞と証明と音効でそれを助けることもある。
あることをじっくり描写するのに、
写真では三脚を立て、絞りを絞る。露光時間を増やすか、強い光を当てる。
あることをじっくり描写するのに、
油絵では筆を細くし、絵の具を盛り続ける。
あることをじっくり描写するのに、
音楽ではなにもしない。じっくり、は時間軸にはない。
あることをじっくり描写するのに、
水彩画はなにもしない。じっくり、は水彩画にはない。
あることをじっくり描写するのに、
書道も恐らくなにもしない。じっくり構想することはあっても、
書くのは一瞬だ。
表現の媒体が違うことは、
それに適した内容は違うことを意味する。
漫画や小説が映画になると簡単に思う人は、
水彩画が油絵に簡単になると思う知性のレベルだ。
我々は映画の特質を理解しなければならない。
それは、他の媒体の特質を理解することでもある。
2014年06月23日
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