2014年06月23日

あることをじっくり描写するのに

あることをじっくり描写するのに、
映画では、その外面をなめるように撮る。
表情、風景、アクションのスローモーション。
長回しを使うことが多い。
音楽で気持ちを増幅する。
それによって次になにが起こるか、皆が身構えるように。

あることをじっくり描写するのに、
小説では、内面を書く。
人の心の中の思いを描写する。
なにが起こったかを描写するより、これがなんの意味があるかを描写する。

あることをじっくり描写するのに、
漫画では、大ゴマを使って絵をじっくり描く。
あるいは、コマを沢山使う。
心の声や解説を入れ込むこともある。

あることをじっくり描写するのに、
演劇では役者の力を使いきる。台詞と証明と音効でそれを助けることもある。

あることをじっくり描写するのに、
写真では三脚を立て、絞りを絞る。露光時間を増やすか、強い光を当てる。

あることをじっくり描写するのに、
油絵では筆を細くし、絵の具を盛り続ける。

あることをじっくり描写するのに、
音楽ではなにもしない。じっくり、は時間軸にはない。
あることをじっくり描写するのに、
水彩画はなにもしない。じっくり、は水彩画にはない。
あることをじっくり描写するのに、
書道も恐らくなにもしない。じっくり構想することはあっても、
書くのは一瞬だ。


表現の媒体が違うことは、
それに適した内容は違うことを意味する。
漫画や小説が映画になると簡単に思う人は、
水彩画が油絵に簡単になると思う知性のレベルだ。

我々は映画の特質を理解しなければならない。
それは、他の媒体の特質を理解することでもある。
posted by おおおかとしひこ at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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